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『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

春樹さんと本と学生時代に読んだ本について。僕は自転車と雑学が好きだった

村上夫妻の三角地帯からの引越し」 で書いた様に、春樹さんの引越しの時に驚いたのは、その蔵書の多さだった。手伝った皆で、これは小さな古本屋が開けるよねと言いあったものだ。それに感化されたというわけでもないが、私も本の虫だった。本の虫って面白い言葉だな。書痴、蔵書狂、愛書狂などともいう。ビブリオマニアは、書物蒐集狂、蔵書狂、 愛書狂などとも言われ、本を熱狂的に愛する強迫神経症の人のことだが、私も若い頃に雑誌の創刊号集めに走ったことがあるので、人のことは言えないが……。 ジャズ評論と映画評論の故植草甚一氏は、 蔵書が4万冊だったそうだ。筋金入りのビブリオマニアだね。LPも4000枚だったそうだ。これは散逸を防ぐためにタモリが全て買い取ったそうだ。植草氏は、下北沢の喫茶店タイムでよく見かけた。経堂アパートから足繁く通っていたようだ。氏の著書では、『ぼくは散歩と雑学がすき』がおすすめ。サブカル チャーを世に広めた名著。私が雑学好きになり、やがて編集アートディレクターになったのも彼の影響が強い。『僕は自転車と雑学がすき』だったが……。
 本の虫には、比喩としてのそれではなく、紙魚(シミ)などという本当に本につく虫もいるから厄介だ。また、戦後に出版された書籍には酸性紙が使われているものもあり、これらは時間が経つとボロボロに崩壊し長期保存ができない。中性紙でなければ駄目なのである。
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上 の4冊が、カート・ヴォネガット・ジュニア時代の名作。右下のスラップ・スティックからジュニアが取れる。下左2冊は、J.G.バラードの名作。特に『結晶世界』はお薦め。『ストーカー』は、ストガルツキー兄弟の『路傍のピクニック』を原作とし、アンドレイ・タルコフスキーが映画化したSFの名作。非常に 難解な作品だが、一度見たら忘れられない名画


 春樹さんは、昼の雨や雪で暇な時には、よく英語のペーパーバックを読んでいた記憶がある。まあたまには山上たつひこだったりもしたが。レジのイスで『喜劇新思想体系』とか『半田溶助女狩り』なんか読んで、突然笑い出すのは勘弁して欲しいと思った。ある時、階段を下りて店に入ったら、バイトのKと船問屋のMさんと春樹さんが、『半田溶助女狩り』の中の「部長の野郎よ~ほほほい」の踊りを踊っていたことがある。周りにはバイト仲間や常連がいたが、大爆笑だった。山上たつひこの漫画は、アナーキーなフリージャズそのものだったのかもしれない。もちろん、軍国主義の台頭とその恐怖を描いた『光る風』を忘れてはいけない。
 春樹さんの薦めでたくさん読んだのが、カート・ヴォネガット(1976年の『スラップスティック』より以前の作品はカート・ヴォネガット・ジュニア)。 80年代になって、早川文庫SFから和田誠氏のカバーイラストでたくさんの作品が出版されたが、ほとんど読んでいる。『プレイヤー・ピアノ』、『タイタンの妖女』、『母なる夜』、『猫のゆりかご』、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』、『スローターハウス5』、『ジェイルバード』、『ヴォネ ガット、大いに語る』等々。読んだ読んだ。今も私の書架にある。SFが好きだったので、『結晶世界』のJ.G.バラードや『華氏451度』のレイ・ブラッドベリ、『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラーク等も読みあさった。ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』は映画化もされたが、今でも記憶に残る名作だ。
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 小説以外では、例の「国分寺書店」で買い求めたG.ティボンの『星の輝きを宿した無知』、70年代当時の美大生のバイブルだったヴィクター・パパネック の『生きのびるためのデザイン』、ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』等だと思うが、当時これらを読んだ人がどれほどいるだろうか。加えて スーザン・ソンタグの『反解釈』。さらにR.D.レイン『好き? 好き? 大好き?』等々。今読んでも遅くない本だ。
 ムックでは、『エピステーメー朝日出版社、『遊』工作舎、『イメージの博物誌』平凡社などをよく買った。これらは今も大事にして書架にある。雑誌では、『批評空間』福武書店、『思想空間』青土社、『ユリイカ青土社、『面白半分』面白半分、『宝島』宝島社、『ガロ』青林堂等々。当時を知る人には、たまらなく懐かしい世界だと思う。
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 人はなぜ本を読むか。「あなたが知りたがっている問題は、実はほとんど答えが出ている。ただあなたが知らないだけだ。本を読みなさい。たいていの事は既 にだれかが答えを出している。しかし、世界はほとんどが未知の世界だ。答えのないことの方が遥かに多い。」と誰かが書いていたね。確かに世界中の偉人や先 人達が、素晴らしい書をしたためている。それを読むことは、彼らに個人授業を受けているようなものだ。まあ、それが本当に良書かどうかは体系的に判断するリテラシーが必要だが。そう思って読めばその力もつくだろう。決して名前や肩書きに騙されないことだ。
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 以前の記事「春樹さんがいう地下室に下りてみよう。『僕たちは再び「平和と愛」の時代を迎えるべきなのかもしれません』村上春樹」 で書いたが、戦後日本の、抱き癖がつくとか、添い寝はいけないとか、転んでも起こしてはいけないとかいう子育てが、情緒不安定なコミュニケーション能力の足りない子供達をたくさん生み出したと思っている。スキンシップの足りない子供は情緒不安定になる。親ばかり話して(大抵小言)子供の話を聞かないと、やがて何も話さなくなる。更に親の前で常にいい子を演じる様になると重症だ。
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 臨床発達心理士の山口創氏の『子供の「脳」は肌にある』という興味深い本がある。その一部を引用する。
「イヌやウマといった哺乳類は、出産してまず初めに、赤ん坊の全身を舌でなめる。これは、赤ん坊の皮膚の表面についた羊水などを拭うのと同時に赤ん坊の全身に舌で刺激を与えてマッサージをしているのだそうだ。」
「赤ん坊の循環器系、消化器系、泌尿器系、免疫系、神経系、呼吸器系などあらゆるシステムを正常に作動させるために必要なことなのである。全身を舐められることで赤ん坊は正常に呼吸し、排泄できるようになる。」
「人間の場合は、母親は赤ん坊を舌で舐める代わりに、出産のときに子宮の中でマッサージしているのだという学者もいる。長時間続く陣痛による子宮の収縮が、 胎児の全身に皮膚刺激を与える。すると胎児の皮膚の末梢の感覚神経が刺激され、それが中枢神経に届き、自律神経系を経てさまざまな器官を刺激するという。 ゆえに産道を通らずに帝王切開で生まれた子供は、後に情緒不安定など、情動面での問題が生じる可能性が高いとの指摘さえある。」(生後たっぷりとスキンシップを受ければ大丈夫と思う)
「『皮膚は露出した脳である』ともいわれる。体性感覚(触覚と温痛覚)は視覚や臭覚とは異なり直接脳を刺激していることになる。」
 スキンシップというのは、実は言葉以上の会話なのだと分かる。
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 そして、里山や雑木林などの自然は子供達の学校になる。私も息子達を出来る限り自然の中で育てたが、自然というものは豊かであるが理不尽。子供とて容赦はしない。だからこそいい学校なのだ。遊ぶことが学ぶことに繋がる。心の自由度や読解力の豊かさ、他者に対する思いやりは、子供時代のスキンシップと自然との関わり方に因ると思う。大学時代に愛読したホイジンガーの『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』を思い出す。また読んでみよう。
「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ」『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』
 これは平安時代の作。技術が進歩しても感性は変わらない。むしろ退化しているかもしれない。技術だってそう。重機なしでピラミッドが造れるだろうか。前方後円墳が造れるだろうか。奢ってはいけない。その挙句の果ての福一の大事故なのだ。
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 切れる子供。執拗なストーカー。恋人に振られたぐらいで相手を殺す。家庭内暴力。拒食症。その根底にスキンシップの欠如があり、求める愛と与える愛の決定的な乖離があると思う。江戸時代の日本人や戦後でも田舎では、お乳は欲しがるだけ与え、赤ん坊は常に誰かに抱っこかおんぶされていたものだ。常にスキンシップがあった。愛に満たされた子供は、言われなくても自ら自立していく。外で遊ぶ様になっても、昔はおしくらまんじゅうとか馬跳びとか、スキンシップの多い遊びが豊富だった。同学年だけでなく、上下の世代ともよく遊んだ。そういう中で育った人間がコミュニケーション障害になるはずがない。モラルではなく、思いやりが育たないわけがない。モラルを声高に言う輩に碌(陸:ろく)なやつはいない。思いやりで充分だ。
 問題は、スキンシップを知らずに育てられた連中が大人になり、今や政財界官僚マスコミの中枢に大勢いるということだ。
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 国分寺ピーター・キャットは、夜はジャズ・バーなので、アルコール類も出すし賑やかだったが、昼は一人の客も多く比較的静かだった。コーヒー一杯で読書に耽り長居する学生も多かった。昔はネットもなかったし、テレビゲームもなかった。テレビもそう見なかったので、よく本を読んだと思う。今の若者も、ネッ トでもYoutubeなどの動画を除けばほとんど活字なので、文章を読まないということはないが、やはり一冊の本を読み切るということとは違うように思う。確かに読書は何歳になってもできるが、脳も肉体の一部。若い時の方が脳の体力もある。なにより「空っぽな壷には、新しい水がたくさん入るものだ。」という中国の諺もある。
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 ピーター・キャットではライブ演奏をしていたので、ジャズメンの出入りも頻繁にあった。ジャズはアドリブが命だからだろうか、ジャズメンには思考が柔軟で(グニャグニャで?)可笑しな人が多かった。店では春樹さんの趣向でフリー・ジャズはかけられなかったが、個人的には大好きで、友人と山下洋輔トリオのライブ演奏に出かけた。彼のエッセイがその頃から出始めたが、どれも最高に可笑しかった。文章自体がフリー・ジャズなのだ。厚生年金大ホールで読響がベー トーベンの第九をやっている時に、下の小ホールでやっていた3人の大音量で、コンサートが台無しになったという経歴を持つ。ピアノに火を放って演奏したこともある。「Yosuke Yamashita, Burning Piano 2008」初回は1973年。


Eitetsu Hayashi - Bolero 林英哲&山下洋輔 - ボレロ」も圧巻。和太鼓とピアノのコラボが斬新で心地よい。ラベルが聴いたらひっくり返るだろうか。
 これは貴重な山下洋輔松浦亜弥のコラボレーション。「Matsuura Aya - Koibito ga Santa Claus」これらを観ると、いかに現在のテレビが堕落したかが分かる。今の時代にこういう番組を作る余裕は全くないだろう。
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ジャズ・ピアニスト、山下洋輔の文庫本。どれも面白い。稲垣足穂の『人間人形時代』


 その中の一冊『ピアニストを笑え!』の中のオオトカゲ、コンプレックスの導入部はこんな感じで始まる。
「年齢に関係なく、人は常に反逆するものだ。早い話が、赤ん坊は『ギャオーッ』といいながら出て来るが、あれは決して、『皆さんおはようございます』といっているのではない。さあ、何がなんでも逆らうぞ、といっているのだ。」
 スピード感があり、とびきりのローラーコースターの様に急上昇急下降を繰り返し、時に回転やひねりも入る。力任せで強引だが、けれどもインテリジェンス溢れる文章でもある。ただ、不用意に読んでいると、突然コーヒーや水割りを吹き出すことになるので要注意である。読者に突然災難が訪れる文体でもある。
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 稲垣足穂という作家を知っているだろうか。工作舎から1975年に出た『人間人形時代』という摩訶不思議な本がある。黒い装丁の本の中央には直径7ミリ (カバーは12ミリ)の穴がズボッと開いている。「本は暗いおもちゃである」というタルホの言葉に則りデザイナーの杉浦康平氏と編集者の松岡正剛氏が作った伝説の奇書である。「カフェの開く途端に月が昇った」「人間人形時代」と続き、後半は半分が「宇宙論入門」という構成。宇宙に興味のない人は、後半は退 屈だろうが、真ん中の「人間人形時代」の短いエッセイ集は面白い。「香なき薔薇」や「ゴム臭いボートの話」、地球温暖化について書かれた「電気の敵」とい う不可思議な文章等は、なかなか読ませる。「模型少年」「天体嗜好」「飛行家願望」「少年愛の抽象化」と編者の松岡正剛氏は書いているが、どこからでも読めるが、どこを読んでもこの本の装丁のように、真ん中に穴があいていて、心にストンと落ちるのではなく、まるで透明人間の様に通り抜けてしまう不思議な本 なのだ。この穴は、宇宙の穴であると同時に、彼のいうAO感覚という、口から肛門へ続く穴でもあるのだろう。この本が書架にあるような輩は、間違いなく変わりものといわれるのを覚悟で読んで欲しい。古書店を探せばあるかもしれない。
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 学生になる前の浪人時代の話を書こう。当時は、ジャズに没頭していて、マイルス・デイビスウェイン・ショータージョン・コルトレーンなどを聴いていたのだが、ある時、美術研究所で知り合った友人に渋谷の恋文横町(戦後米兵相手に恋文を書く代書屋があった)の、もっと上の方の百軒店の道頓堀劇場の向かい辺りにあった「SAV サブ」というロック喫茶に連れて行かれた。彼はジャニス・ジョプリンが大好きで、確か始めて行った時に『PEARL』をリクエストした。「Janis Joplinジャニス・ジョプリン)Move Over」は、最もお気に入りの曲。この店は私も気に入って、度々通った。


 その先の「喜楽」の焦がしネギが乗ったモヤシソバを食べたり、先の角を左折した所にあるレトロなレストラン「ムルギー」で、当時は珍しいゆで卵のスライ スがのった辛口のインドカレーを食べてから、どっぷりとジャニスのブルースに浸ったものだ。ハシゴのような階段を二階に上ると、薄暗いというよりは真っ暗に近くて、真夏の陽光降り注ぐ道玄坂から入ると一瞬何も見えなくなった。明るい店内を見たことがないので、どんな内装か記憶がないが、当時のロック喫茶や ジャズ喫茶は、今では許可にならないぐらい薄暗いものだった。とても読書できる様な明るさではなかった。
「サブ」の帰りに「珉珉羊肉館(ミンミンヤンロウカン)」で、サンマーメンに餃子なんかも食べた。焼餃子の元祖ともいえる店で、最初は恋文横町にあったそうだ。ニンニクを入れたのもそこの亡き親爺さんのアイデアだとか。現在は道玄坂に移ったようだ。
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 百軒店には、ブラックホーク、B.Y.G.とかロック喫茶がたくさんあったと記憶している。なんとB.Y.G.は、まだ営業してるようだ。 BEGINなどもライブをやっているとか。その隣にある、当時は通り過ぎるだけだった名曲喫茶「ライオン」もまだ健在のようだ。百軒店のある円山町は花街で、芸者置屋もあった。働き始めた頃に社長と飲んだ帰りに置屋前の元甲子園児の屋台でラーメンを食べ、ちょうど通りがかったタクシーを拾うと、中から私たちよりがたいのでかい屈強な派手なワンピースを着た御釜が二人降りて来た。ギョッと思いつつ乗り込むと、車中はむせ返る様な香水の匂いが充満していた。運転手も苦笑いしていた。
 数年後、社会人になってからだが、やはり渋谷を仲間と飲み歩いていたら、前から泣きそうな表情(かお)をした背の高い美人が歩いてきた。どうしたの?といって飲みに誘ったらついてきた。新潟出身のニューハーフだった。悩み事から身の上話まで、色んな話を聞いた。名刺ももらったけど、そっちの趣味はなかったし忙しかったので、彼女の店には行かなかったが。色々な生き方があっていい。
 浪人時代から学生時代になると、渋谷からは遠ざかり新宿のジャズのライブハウス「ピット・イン」や、ジャズ喫茶「DIG」や「DUG」などに顔を出すようになったが、ジャニス・ジョプリンというと、「サブ」のあった渋谷の百軒店と、はす向かいのレコードショップでLPを買った帰りによく立ち寄った「タイム」のあった下北沢をやはり思い出す。

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当時は毎晩のように聴いていた


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 その後は、ジョージと呼ばれた吉祥寺近くに住んで、また「OUTBACK」や「ファンキー」などジャズ喫茶通いの日々だったが、時々思い出したように ロック喫茶の「赤毛とそばかす」にも通っていた。JBLアルテックのスピーカー、マランツマッキントッシュのアンプは憧れの的だった。大学に入ってバイトして憧れのラックスのアンプを買った夜は、一晩中聴いたものだ。昨今のCDやMP3の安っぽい音を聴いていると、それに連れて歌手や音楽そのものも安っぽくなってしまったのかなあなんて思ったりもする。70年代は学生運動が吹き荒れた60年代からの解放の時代だった側面もある。我々の世代は、 しらけ世代、三無主義(無気力・無関心・無責任)などともいわれたが、なんだかみんな緩くなって、サブカルチャーが活き活きしていた時代だった。
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 保守的な年寄りには我慢のならない若者達だったろうが、1930年代から後藤新平等が唱え、芽生え始めたデモクラシーを踏みにじり、軍国主義に走り、310万人もの戦没者を出した連中にいわれる筋合いは全くないものでもあった。『戦後史の正体』(創元社)の孫崎享氏が記しているように、戦争の責任を問わず、米隷属に走ったことで、日本の独立は失われてしまった。その挙げ句の果ての福島第一原発事故である。村上春樹さんが「カタルーニャ国際賞スピーチ(書き起こし)」で述べた様に、「効率=金」の亡者と化した日本人が、この人類史上最も未曾有の大事故を招いたのである。我々が失ったものは、計り知れなく大きい。これからの数年間で、それを思い知ることになるだろう。今こそ愛が必要とされる時代もない。


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 今日はここまで。次回は、春に似合うアルバム。私の一推しはこれ。『April in Paris』