『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

70年代の学生の自炊と外食。つまり食料事情について。抱腹絶倒の物語

70年代の平均的な学生の一人暮らしというのは、たいていが四畳半か六畳のモルタルアパートだった。三畳に住んでいた強者もいた。賄い付きの下宿というのもあったが、数は少なかった。部屋はたいてい畳敷きで、小さな台所とトイレが付く。水洗がほとんどだ…

春樹さんがいう地下室に下りてみよう。『僕たちは再び「平和と愛」の時代を迎えるべきなのかもしれません』村上春樹

3.11以降、実質国土の三分の一が失われたというのに、東京湾はもちろん北太平洋もほぼ死んだというのに、この国のテレビは相変わらずバラエティやグルメ番組を、まるで何事もなかったかのように垂れ流し続けている。戦後、CIAが持ち込んだ愚民化政策は脈…

国立ロンド(輪舞曲)。亡き王女のためのパヴァーヌ

「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴くと、なぜか晩秋の大学通りを思い出す。桜の葉が色付き風に舞う。枯葉の間から木漏れ日が挿す。散歩中の少女が子犬と戯れる。ラヴェルがルーブル美術館でベラスケスの「マルガリータ王女」の肖像画を観てインスピレーシ…

ラプソディ・イン・国立。雨上がりの夜空に・・・近くにいた忌野清志郎

ラプソディとは、狂詩曲のことをいうが、語源は古代ギリシャの吟遊詩人達の即興詩。おもにホメロスの叙事詩の断章であるrhapsōǐdiaに由来する。「ラプソディ・イン・国立」は、もちろん故忌野清志郎率いるRCサクセションの1980年のアルバム『RHAPSODY』…

雨の日とミッドナイトには、女性ヴォーカルがよく似合う

ジャズ喫茶といっても、「ピーター・キャット」は、会話をするとウェイターがやってきて「お静かに!」などと言われる様なおしゃべり禁止の店ではなかった。そういう本格的にジャズを聴きに行くための店は、それはそれで存在理由があって貴重だった。私も吉…

「ピーター・キャット」のアルバイト事情。突然叩き起こされて・・

「ピーター・キャット」のアルバイトは、二日おきか三日おきに入れていた。基本は夜で、7時から深夜1時半か2時まで。昼の時は、12時に入って7時までだった。カウンターに入ると立ちっぱなしなので結構疲れるが、若かったので特に辛かったという記憶は…

「ピーター・キャット」以外のユニークなバイト。それはスラップスティックな世界

『70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々』で書いたが、大学一、二年の時はアルバイトに明け暮れた。「ピーター・キャット」のバイトは、週に2、3回ぐらいだが、その他にも色々なユニークなバイトを…

村上夫妻の三角地帯からの引越し、友人の引越し。獣の臭いのする布団

「今度引越しするから手伝ってくれない?」と春樹さんに言われたのが、75年の春だったと思う。まず当時の地図を見て欲しい。国分寺駅からの西武国分寺線と中央線が分岐する通称三角地帯(村上夫妻命名)に、その家はあった。正確にいうと2013年現在も…

「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語

「ピーター・キャット」の店名は、村上夫妻が飼っていた猫の名前に由来するが、マッチのイラストは、英国の数学者で作家のルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫(Cheshire cat)。絵はジ…