『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

目次 [CONTENTS]


◉目次は常にトップに表示されます。ここからお好きなページに行くことができます。お問い合わせや質問、取材の申込みもどうぞ。デンマーク語版の翻訳者メッテ・ホルムさん追ったドキュメンタリー「ドリーミング村上春樹」を観たいのですが、長野での上映はないようです。『ドライブ・マイ・カー』は、本当にいい映画でした。

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冬に似合うジャズアルバム。キャットの定盤(番)、ホットウィスキーと共に

 以前、『冬のうちに書くつもりが、春になってしまった「ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件」』でデューク・ジョーダンの『フライト・トゥー・デンマーク』などを紹介したが、意外と冬をテーマにした曲は少ない。しかし、クリスマスとなると、ジャズの名曲、名演奏はいきなり増える。いつのクリスマスだったろうか、春樹さんに誘われて国分寺の北口へクリスマスのジャズ・アルバムを探しに行ったことがあった。買ったのはフランク・シナトラのアルバムだった。そのアルバムは持っていないけれど、後に息子達が小さな頃に、『White Christmas』というオムニバスの二枚組のCDを買って、クリスマスになるとよく流した。ビング・クロスビーフランク・シナトラルイ・アームストロング、マヘリア・ジャクソン、ローズマリー・クルーニーなどのヴォーカルが50曲も詰まっているという豪華版。小さな息子達のために、出窓に小さなクリスマスツリーとイルミネーションを飾った。夜遅く仕事から帰ると、曇りガラスにイルミネーションが滲んでまたたいていた。今は独り身なのでクリスマスは無縁だが。

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 そういえばまだ独身の頃、アマゾンでクリスマスを迎えたことがあった。ジャングルの中にある辺鄙な日系人の入植地から船で帰り、アマゾン河河口の大都市ベレンに深夜着いた。アマゾン河の水面の彼方にビルから吊られた大きなクリスマス・イルミネーションが河面に映って揺れるのを、河船のハンモックから眠い目をこすりながら見ていたのを思い出す。河口から約1500キロ上流にあるマナウスの貧民街で女性ばかり3人の家に居候していたことがある。彼女達がクリスマスに田舎に帰るといってプレゼントを沢山買ってきた。その包装を手伝ったが、折り紙を添えたり、ちょっとしたペーパークラフトを付けてあげたら非常に驚いて喜んでくれた。
 彼女達のうち母子はその後ノルウェーに移住した。私が訪ねたのは真夏だったのでクリスマスは体験できなかったが、森の中にはクロスカントリーのコースがあり、図書館が併設されたスポーツセンターにはホットスパもあって、長い白夜の日々をそこで過ごすのだそうだ。気温が25度を超える日には、ケサランパサランが空を埋めるように飛んだ。友人の娘が4歳の頃に、彼女が好きなピンク色の浴衣を送ったことがある。後日送られてきたクリスマスパーティーの写真には、浴衣を着て友達に囲まれた笑顔の可愛い彼女が写っていた。彼女が7歳の時にノルウェーを訪れたが、全力ダッシュでジャンプして抱きつかれて、キャンディーを舐めたベトベトの唇で顔中にキスされた事は、決して忘れることができない。

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 冬は、ほっこりした演奏や暖かいヴォーカルが聴きたくなる。武蔵野の寒風から逃れてコンクリートの階段を下りると、心をくすぐるジャズの音が聞こえてくる。鉄の扉を開けると、熱いジャズの音楽と温かい空気に包まれてホッとする。ピーター・キャットに飛び込んだ客は、普段頼むオン・ザ・ロックではなく、チムニー・グラスに入れたホットウィスキーやホットラムを頼む人も少なくなかった。陽子さんが作ってきた肉じゃがなどもすぐに売り切れた。そんな寒い日には、心底ただ甘いヴォーカルが聴きたくなるものだ。自然とそういうリクエストが多くなった。実際、赤城颪関東平野を駆け抜けて東京を吹き抜ける空っ風は、乾燥しきっていて身も心もカサカサにする。反対に、夏季は湿った海風に覆われ、信州の母はお前が送ってきたものは全部カビ臭いと常々言っていたものだ。冬は冬でコンクリートの建物は結露するので、冬でもカビが生えるから厄介だ。
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 まずはチェット・ベイカーの名演奏から、「Winter Wonderland - Chet Baker & The Lighthouse All-Stars」こんな美しいクリスマスのジャズ演奏もないだろう。

Christmas Waltz - Chet Baker & Wolfgang Lackerschmid

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キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』、『TRESURE ISLAND』、『Death and the flower』。

Steve Kuhn『ECSTASY』、Paul Bley『Open,to love』、チック・コリアゲイリー・バートン『CRYSTAL SILENCE』。

 

 私が持っている冬に似合うアルバムを並べてみた。左から、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』。これは『村上春樹さんが絶対にかけちゃだめと言ったアルバム』の一枚で、店でかけることはなかったが、家ではよく聴いたし大学のキャンパスでもよく流れていた。クリスタルなピアノの響きが冬にピッタリだと思う。

www.youtube.com 次は彼の『TRESURE ISLAND』という1974年のアルバム。アメリカン・カルテットと呼ばれたキースのバンドで、私は非常に好きだった。

 一方、欧州ではヨーロピアン・カルテットを組み、リリカルな演奏を聴かせてくれた。次も彼のアルバムで『Death and the flower』。赤いバラのジャケットが印象的で、リクエストも多かった。この二枚は大丈夫だったので、よくかけた記憶がある。

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 次の三枚は、いずれもドイツのECMレコードのもの。ベルリン・フィル”のコントラバス奏者だった、マンフレート・アイヒャーが、The Most Beautiful Sound Next To Silence"(沈黙の次に美しい音)をコンセプトとして、キース・ジャレットを始め、多くのジャズ・ミュージシャンのアルバムを世に送り出した。Steve Kuhn(スティーブ・キューン)の『ECSTASY』は、1974年に出したソロアルバム。ECMサウンドに共通する冷たい透明感や緊張感が溢れている。

 次は、Paul Bleyの『Open,to love』というソロピアノのアルバムから『Ida Lupino』という曲。聴くと分かるが、透明感だけでなく音の雪崩が起きた様な情熱的な演奏も入る魅力的な曲。作曲は奥さんだったカーラ・ブレイ

www.youtube.com 最後はキース・ジャレットと共にECMの二大巨匠、チック・コリアヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンと共演した『CRYSTAL SILENCE』。まさに水晶の静寂というべきクリスタルな演奏。間違いなくECMの名盤の一枚。

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 ナット・キング・コールの甘いヴォーカルは、冬の定盤だね。「Mona Lisa」。なんて美しい曲なんだろう。

www.youtube.comUnforgettable」。娘のナタリーとの共演。「Natalie & Nat King Cole - When I fall in Love」。彼の甘い歌声は熟女殺しかな。冬の信州の凍結したワインディングロードで聴くと、アクセルも控えめになって具合がいい。スタッドレスを過信していると、必ず事故るんですよ。北国の冬を甘く見てはいけない。

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 在京時代に、主に夏と冬に家族で信州に帰省した。息子達が小さかった頃に、上信越自動車道で信州に入ると必ずかけたCDがある。中学の後輩で、今や世界的なアコーディオン奏者、COBAの『シチリアの月の下で』というアルバムだ。これの一曲目が「SARA」という曲なんだが、本当に素晴らしい曲で、夏の木漏れ日の中を走る時も最適だし、白銀の信濃路を走るのにもピッタリの曲。SARAというのは、彼が下宿していた家の若夫婦に生まれた娘の名前で、これに関しては、彼が「僕のSARA」という非常に面白い感動的なブログを書いている。上信越自動車道の軽井沢辺りでこのアルバムをかけると、佐久、小諸を過ぎて、ちょうど東部湯の丸辺りで終わる。

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レゲエ・クリスマス、ウェス・モンゴメリー『A Day In The Life』、日野皓正、菊地雅章ジョー・ヘンダーソンの『JOE HENDERSON AND KIKUCHI, HINO IN CONCERT』。

マル・ウォルドロン『SKIPPIN’』、スタンリー・タレンタイン『LET IT GO』、ポール・デズモンド『Glad To Be Unhappy』。

WHITE Christms 1. 2

 

 クリスマスとジャズというのは相性がいいのだろう。名盤が結構ある。特にヴォーカルは、ありすぎて困るほどだ。左は、ジャズではなくレゲエ。ジングルベルや赤鼻のトナカイなどの定盤をラスタマンが思い切りレゲエで歌っているという珍盤。アマゾンでクリスマスを迎えたことがあるが、熱帯や南半球のクリスマスは真夏なので、水着姿のサンタがいたね。セクシーなサンタもいるけど、基本的に日本と違って商業的行事ではなく宗教行事なので、家族で静かに過ごすのが定盤。次は、ギターの名手、ウェス・モンゴメリーの『A Day In The Life』。ピアノがハービー・ハンコック、ベースがロン・カーターという豪華な顔ぶれ。ビートルズの名曲をカバーして、フュージョン・ジャズの先駆けとなった名盤。決してイージー・リスニングではないですよ。

 次は、日野皓正、菊地雅章ジョー・ヘンダーソンの『JOE HENDERSON AND KIKUCHI, HINO IN CONCERT』。アルバムにはない「Dancing mist」の演奏。1971年8月5日 東京・都市センター・ホールのコンサートから。真夏のコンサートだが、真冬に湯気が立つホットウィスキーを両手で抱えながら聴きたい熱い演奏。

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 マル・ウォルドロンといえば、ビリー・ホリデーに捧げた『LEFT ALONE』がなんといっても有名で店でもリクエストが絶えなかったが、この『SKIPPIN’』は、所謂ジャケ買いというやつで、洋酒の瓶が並ぶジャケットが気に入って買った様な気がする。しかし、ハード・バップの演奏も聴き応えがある一枚。次は、テナーサックス奏者、STANLEY TURRENTINEの『LET IT GO』。当時奥さんだったシャーリー・スコットのオルガンとの演奏が非常に聴き心地が良い大好きなアルバム。ベースは、ロン・カーター

 一番右は、ポール・デズモンドの『Glad To Be Unhappy』。好きな曲はB面の一曲目の「A Taste Of Honey」。ウエストコースト・ジャズを代表するサックス奏者。ジム・ホールのギターとの共演が優しく心地いい。雪が深々と降る静かな冬の夜に聴きたい一枚。

 そして、手前のCD二枚が、ジャズボーカルが50曲も詰まっているという豪華版のアルバム。「ホワイト・クリスマス」はジャズの定盤で、色々なジャズメンが演奏したり歌っている。ルイ・アームストロングフランク・シナトラのは定番中の定盤。

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 ハッピー・クリスマス:ジョン・レノン。戦争がなくならないのは、戦争で金儲けを企む輩がいるから。戦争は米の公共事業。世界の軍産複合体こそが人類の敵である。強大な多国籍企業の農薬メーカー、医薬品メーカーも同罪。

www.youtube.com               ◆

 文豪チャールズ・ディケンズの古典的名作を映画化したクリスマス・キャロル」 予告

 ユーチューブで、1970年台のムービーを探していた見つけた8ミリムービー。当時の風俗や空気が感じられるとっても素敵な動画だ。承諾を得て紹介させていただく。

『新宿 1975,冬』by yumejizoさん

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 トレンチコート、ダスターコート、スタジャン、ベルボトム。若い男性にパーマをかけた長髪が多いのも時代。新宿東口の昭和感が凄い。まだ開発途上だった西口の寂寥感。映っている幼女も40代だろうし、老人はほぼ亡くなっているだろう。女子高生も50代の熟女だ。ブルース・リーの看板が懐かしい。よく行ったのは三峰、伊勢丹、タカノフルーツパーラー、サブナード等々。タカノフルーツパーラーの6階にはワールドレストランがあって、ドイツ、イタリア、ハンガリー、インド、スペイン、南米などの料理が食べられた。デートで使った思い出がある。世界堂は遠かったが、美大生御用達の店だった。新宿サブナードは、1973年にオープンした。お洒落なテナントがたくさん入った。浪人時代だが、メンズビギの店で、コーデュロイの黒いスリムなジャケットを買ったが、これはお気に入りだった。チョコレート色のトレンチコートを確か三峰で買ったような記憶もある。大学に入る頃には、ファッションはJUNなどのヨーロピアン・カジュアルから、雑誌『POPEYE/ポパイ』や『Hot-Dog PRESS/ホットドックプレス』の影響で、アメリカン・カジュアルへと移っていった。紀伊國屋に本を探しに行った時は、必ず地下一階にあるインドカレーの店に立ち寄った。モンスナックという創業昭和39年の老舗なんだね。今回調べて初めて店名を知った……。

 メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。

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 学生の分際なので、さすがにキャバレーは行かなかったが、地球飯店とかWINPY(ウィンピー)は行ったね。風月堂、DIG、DUG、PITIN、洋食アカシア。ゴールデン街新宿西口思い出横丁渋谷ののんべい横丁(小便横丁)やジャンジャン等に頻繁に行くようになったのは、大学を出てからだった。のんべい横丁の野川は、所謂(マスコミの)業界人が集まる店でよく行った。半月というはんぺんを使った名物料理は、我が家の定番にもなりよく作った。ここでナンシー関さん一行と出会って飲んだのも、今となっては懐かしい思い出だ。新宿は、西口のぼるが、バガボンド。東口のその2とか……。『Place(場所の記憶)』という当時を非常によく記した写真が豊富なサイトがあったのでリンクしておく。当時を知っている人には、涙なしでは観られない画像ばかりだろう。

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冬の武蔵野美術大学。打ちっぱなしのコンクリートが余計に寒々しい。キースのソロコンサートのリリカルな調べが、キャンパス中に鳴り響いていた。

 

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 特に冬の話題というわけではないのだが、ちょっと寒々しい話ということで。村上春樹さんの『1Q84』ではなく、「IQ(アイキュー)84」という記事をブログに書いたことがある。IQ84というのは、まあ普通の頭脳か、ちょっと劣る程度。IQというのは絶対的な数値でもなければ知能を測る唯一の方法でもない。生活年齢と精神年齢の比を基準とした知能指数測定と、同年齢の中での偏差値知能指数があるが、通常は前者をいう。
 子供の頃すごく精神年齢が高くて大人になっても子供みたいな人(アダルトチルドレンのことではない)は、年をとるに連れてIQが下がるわけだ。知能に生得的、遺伝的基盤があることには疑いがないが、生活環境や、その変化によっても変わるわけだから、鳶が鷹を生むこともあれば、その反対もある。ただこの数値には、もっている鋭い感性は測定不能で含まれない。中学一年の時だったかIQテストを受けて、非常に高かったので担任が驚愕していたが、現在は極めて凡人である。低くても高くても案ずることはない。いくら高くても思考を止めてしまった愚民になったら奴隷と変わらない。

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1Q84』だが、ジョージ・オーウェルの『1984』をどこかで意識した作品と各所でいわれている。終戦後の1948年に書かれたというオーウェルのこの小説は、第二次大戦後に台頭したソ連などの全体主義国家への風刺的な作品として描かれた近未来小説である。私はこの作品を1983年の冬、南米のブラジル、ボリビアへの放浪の旅の途中に読んだ。ブラジルは軍事政権であり民政化への兆しが見られ、85年に民政化した。100万人規模のデモが、サンパウロリオ・デ・ジャネイロで行われブラジルの新聞の一面トップを飾った。愚民化政策で洗脳された日本では考えられない規模のデモだった。ボリビアは1982年に民政化されたばかりだった。その前は、半年に一度軍事クーデターが起きるという有様で、滞在当時も橋の封鎖デモもあり緊張した。
1984』に描かれた世界は、街中に監視カメラが設置され、行動が24時間政府の手によって見張られるという近未来都市の描写。それはかなり衝撃的なものだった。同時に読んだ大人の寓話『動物農場』も、極めて近未来的暗示的な作品である。
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 しかし、現在を見てみれば大都市には街中に監視カメラが設置されている。違うのは表向き全体主義国家ではないということ。それでも、全てがある強固なシステムの中にはめられているのは確かである。商業主義的なマーケティングの手法が行き渡り、予定調和的な流行が街並みにも商品にも溢れかえっている。そこには自発的なムーブメントのようなものさえ計算されて存る。大手広告代理店やマスコミで働いている、賢明な所謂業界人なら分かるだろう。形而下的には、全体主義国家の無機質な景観と対局にありながら、その根元的な本質においては、全体主義国家のそれと相似率が限りなく高まってしまうという皮肉。

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 1984年は、アップルのMacが生まれた年。軽薄短小でバブル景気前夜。ポストモダンが台頭し、近代主義を支えた大きな物語の終焉と新たな様式を提唱したのだが、なんだか目の利かない骨董親父をだますような突拍子もない作品ばかりが街に溢れかえったのは皮肉なことだった。と、現在を見るとネット文化の普及で情報はかつてないほどグローバル化して、近代と現代の境界線を明確にしてしまった。ポストモダン自体が現代からはじきだされるという、これも皮肉な現象も起き、バーチャル世界に翻弄されているのは、もはやネットおたくだけではないという現実がある。メディア・リテラシーを鍛えないと、ネットで情報を得ているから大丈夫という時代ではない。

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『木を植えた男』(ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック画)という1982年にアカデミー賞短編映画賞を受賞したムービーがあるが、さしずめ私が信州の里山でひとりで始め、次いで仲間が増えて始めたことは『木を切る男』というところである。舞台のプロヴァンスや木を切り尽くしたスペインでは木を植えることが再生になるが、里山が放置されてきた日本では、まず除伐が再生への道となる。実はこのことが分かっていない人が多い。私が帰郷してうちの山でしたことは、半年以上かかって1000本以上の木を切ることだった。里山は人の手が入って保全されてきたものだから。伐採は、必ずしもその木の死を意味しないということも理解できない人が多い。いずれにせよどちらも森の再生の話である。森の再生は、人の再生でもある。しかし、切って森を再生するという行為は、原罪を背負いながら生きるような側面があるのも確か。『木を植えた男』は絵本にもなっていて、息子たちが小さい時にクリスマスプレゼントであげたことがある。

『MY LIFE AS A DOG』という1985年のスウェーデン映画があった。1950年代のスウェーデンの薄幸な少年を描いた映画だが、日本の少年もスウェーデンの少年もそう変わりはなかったんだなと染み染み感じたいい作品。思ったのは、何の因果か人工衛星に乗せられてしまったライカ犬のような人生にも、爪の垢ほどの希望はあるということだろうかということ。確かあの世界で最も有名になった(本人はその事実を知らないが)犬は宇宙の塵と消えたのではなかっただろうか。どんな有名人も富豪も最後は塵となるのが世の定め。核=原発、戦争を止められない愚かな人類を思うと、形而上学でいうところのレーゾン・デートル(存在理由)を考えずにはいられない。

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1Q84』は、明快なエンディングではないそうだが、それでも地球は回り続ける。でもいつかは止まる。アーサー・C・ークラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の『2010年宇宙の旅』の結末を覚えているだろうか。なんだか飽きちゃった。そういってアキラが宇宙のスイッチを消さないといいのだが……。

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 今日はここまで。リンクの動画は削除や消去されることもあるので、その場合は曲名とミュージシャン名で検索してください。

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秋に似合うジャズ。ピーター・キャットでかかっていたあの名曲

 まったく想像を絶する世界に我々は住んでいるようだ。2014年8月26日、東電の記者会見によると、福島第一原発からは、毎日海へストロンチウム50億ベクレル、セシウム20億ベクレル、トリチウム10億ベクレルが漏れ出ているそうだ。大気中へは、毎日2.4億ベクレル。これとてとんでもない数値なのだが、海への汚染は桁違いに酷いということになる。東京湾の汚染も、今年が最大値になると言われている。なのにテレビでは、太平洋沿岸の魚介類を使ったグルメ番組が放映され、近所の異常に安い回転寿司のチェーン店は週末など満員である。愚民化政策の賜物だろう。多国籍企業と優生主義者の思惑通りに人類滅亡の瞬間が近づいているわけだ。彼らは欲の皮が突っ張った馬鹿共だから、そうなっても自分達だけは生き残れると考えているらしい。
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 粘菌が放射能に対してどれほどの耐性があるかは知らないが、細胞性粘菌の放射線による分化異常のしくみに関する研究などが行われているようだ。また、 タンザニア放射性物質を吸い取る細菌が発見されたり、中国で耐放射能性の真菌と放射菌が発見されたりしている。いずれにしても放射性元素を壊す事はできないので、遠い宇宙かとんでもなく深い地中に埋めるしかないのだが……。それでも再稼働だの原発は必要だの言う輩は、狂人指定でいいだろう。問題は、そういう輩が政治家や官僚や大企業の社長をしているということだ。我々は狂気の世界に住んでいると言っていいだろう。
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 原発事故は、ある意味日本の戦中戦後の社会病理が顕在化したカタストロフィー現象といえるかもしれない。そんなことを端的に表現された、大阪大学深尾葉子さんの呟きが秀逸と感じたので紹介する。
-----この世の中は、「まともな脳みそ」を持とうとする人は生きるのが本当に難しい。自らの「感覚」にフタをして、「利権」や「保身」をめざし「役割」を演じて生きることが有利であり、「仕事」であると錯覚されている。しかしそのような生き方こそが、人類を滅ぼす。原発問題はそれを極端に示している。-----自分はどうであるかと胸に手を当てて検証するべきだろう。
 また、ノーベル賞に最も近い経済学者と海外では評価の高い割に日本では、マスコミも経済学者も無視するために一般的にはほとんど知られていない東京大学名誉教授の宇沢弘文氏を紹介したい。この方も戦後60年余りの日本の問題点を鋭く分析している。
 なぜマスコミが無視するかというと、「日本は米国に搾取されている植民地である」と公然と主張しているからである。興味のある方は、名前で検索してみるといい。岩波書店などから著書も多数出版されている。東電や電事連から多額の広告費をもらい天下りを受け入れている堕落した大手マスコミが全く信用できない今、TwitterYoutube、海外メディアなどを利用しないと真実は得られなくなっている。情報リテラシーが求められているわけだが、逆に今ネットがなかったら、大本営発表と噂しか情報源はないわけで、それは本当に恐ろしい事だと思わずにはいられない。残念ながら宇沢弘文氏は、2014年9月18日に鬼籍に入られた。
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 1976年は福島第一原発浜岡原発が稼働し始めた年である。まさに日本が原発大国に邁進し始めた年でもあった。そんな1976年の秋のことである。それまで女の子のスカートはミニやマキシスカート、パンツはベルボトムやバギーだったのが、ヘビーデューティーやらトラッド回帰などの現象があり、学生のファッションも結構コンサーバティブになっていた。『ももクロでもハチクロでもないが、私の美大生時代はスラップスティック。まだベトナム戦争中、基地もあった』に掲載した写真は、1974年から1977年のものだが、女子はショートカットが多いね。時代の気分は、オイルショックを経て少し保守的になってきたのかもしれない。といいつつ、私はバリバリのフリージャズやヘビーメタルなんかも聴いていたわけなんだが……。Talking HeadsBlack Uhuruも聴いていた。つまり、気に入ったものはクラシックだろうとロックだろうとワールド・ミュージックだろうとなんでも聴いていたわけさ。
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 秋に似合うジャズアルバムとなると、そりゃもう『枯葉:Autumn Leaves』以外ないだろう。元はシャンソンの代表的な曲だが、ジャズのスタンダード・ナンバーでもある。ちょっと考えても、マイルス・デイビス、春樹さんイチ押しのスタン・ゲッツジョン・コルトレーンビル・エヴァンス。ボーカルでは、ナット・キングコールサラ・ヴォーン。挙げればきりがないほど名演奏がある。そんな中で、私が持っている『枯葉』の入ったアルバムから、少し変わったものを集めてみた。ジャズ・バイオリニストのステファン・グラッペリは、私の大のお気に入りで、ピーター・キャットでもよくかけた。中でも写真右端の『Stéphane Grappelli afternoon in Paris』は大好きでよく聴いた。

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 これは2年後73年のオスカー・ピーターソンとの共演だが、この枯葉も凄くいい。『Oscar Peterson & Stéphane Grappelli et al. - Autumn Leaves [1973, Paris]』

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 その左は、チェット・ベーカーの『She Was Too Good To Me』という少し哀しいタイトルのアルバム。A面の最初の曲が『枯葉』である。これもピーター・キャットには当然あったが、リクエストが絶えないアルバムのひとつだった。女性からのリクエストも多かった様に記憶している。印象派のスーラの点描画の様なジャケットだが、写真を加工したものの様だ。写真を一度刷版にして網点を拡大してずらして作ったのだろうか。今ならフォトショップで簡単にできるが。

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 その左は、珍しいジャズ・ハーモニカのトゥーツ・シールマンスの『枯葉』。こんな小さなハーモニカ一本で、こんな素敵なジャズが演奏できるんだねと、当時大感激した思い出がある。一度聴いたら、きっとあなたも虜になるはず。昔買ったブルースハープをトレッキングに持って行って、山頂がひとりだと吹いてみるのだが、だめなんだよね。しんみりし過ぎるんだよね(笑)。ボリビアで買ったケーナも2本あるんだが、ひとりで吹く「コンドルは飛んでいく」もしんみりし過ぎるんだ。かといって「花祭」をひとりで吹いて踊るのもなんだかね……。

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 通常はMJQと略される、その名も『The Modern Jazz Quartet』と名付けられた知る人ぞ知るフランスのBYG(BYG Actuel Records)から1951年に発売されたアルバム。輸入盤のオリジナル。side1の3曲めなんだが、『Autumn Leaves』ではなく、『Autumn Breeze』。当時、中古レコードショップで手に入れた。リンクは、同じアルバムかは不明だが、相当に古い録音であることは間違いないだろう。BYGは、知る人ぞ知る1967年に設立されたフランスのレコード・レーベルで、ドン・チェリーやサン・ラ等、フリージャズやアヴァンギャルドなジャズを出した。仏像がマーク?のLPはまだあったねと探すと、スラム・スチュアートとブルースの元祖女王のイダ・コックスのアルバムが出てきた。渋いなあ。MJQの『Autumn Leaves』は、ミルト・ジャクソンが、ヴァイヴを演奏せずに歌っている逸品。
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 最後、左端の一枚はクラシック・ピアノの巨匠、マルタ・アルゲリッチのモーリス・ラヴェルの演奏の名品。「夜のガスパール」は、秋にピッタリだと思う。無名の詩人アロイジュス・ベルトランの散文詩集の中から幻想的で怪奇性の強い3篇を選び組曲を作った。彼女の演奏は、繊細で神秘的というより、詩集の幻想的で怪奇性をひと際露わにする演奏のように思える。なにせ曲名が、それぞれ「水の精」「絞首台」「スカルボ(悪戯好きの妖精)」だから。録音は必ずしも良くはないが、私は好きだ。

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 秋は哀しい恋の季節のイメージもあるが、北半球では穀物や果実、木の実が実る豊穣の季節でもある。切々と歌い上げるラブソングも似合う。テナーサックスの重厚な響きは男性も好きだが、女性にも人気は高い。ベン・ウェブスターの『My One And Only Love』 を挙げておこう。

 ニューヨークのため息、ヘレン・メリルの『Autumn in New York』。

 春樹さんも訳しているニューヨークを舞台にしたトールマン・カポーティの『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s)』。秋の夜長に、ホットウィスキーを飲みながら読むのもいいかもしれない。もちろんティファニーにレストランはないけれど。オードリー・ヘプバーン主演の映画では、朝帰りの彼女がティファニーのショーウィンドーの前で、パンをかじるシーンから始まった。デニッシュ・ペストリーとカフェオーレだろうか。BGMはムーンリバー。あんな知的で美しい女優は、もう出ないだろうとさえ思う。

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 前述した様に、ピーター・キャットでアルバイトをしていたからといってジャズしか聴かなかったわけではない。当時流行っていたハードロックや、その後のヘビーメタルも聴いたさ。友人のアパートや米軍ハウスに集まってフォークも弾いたしブルースセッションもした。1979年に江ノ島で開催された「ジャパン・ジャム79」へは男女の友人達を誘って行った思い出がある。売れ出したサザン・オールスターズが最初で、TKO、Firefall、Heartと続き、トリが春樹さんの小説にも登場するBeach Boys だったと思う。さすがに当時でももう懐メロだったけどね。当日は、横須賀に米軍の空母が入港していたらしく、若いヤンキーの田舎者(信州出身の私と同じ臭いがした)の兵隊や女の子がたくさん駆けつけた。米兵に肩車されたアメリカ人の女の子がブラジャーを放り投げたね。吸わなかったが草が回ってきたりもした。臭いと煙が蔓延していた。あんなコンサートは、もう二度とないだろう。
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 そして最近は、なんとヘビーメタルがJ-POPと融合してKAWAII METALとして世界を驚かせている。英国で行われたヘビーメタルの「Sonisphere Festival」で、7万人という大観衆の前で、日本の少女3人組と神バンドが大喝采を受けた。続いてアメリカやカナダ・モントルーの公演も大成功。レディ・ガガの要請で全米ツアーにも同行。秋の欧州単独ツアーも決定している。往年のヘビメタファンには、モッシュやサーフィン、ダイブなど懐かしいシーンも見られる。
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 海外では大人気だが、日本の大手代理店に牛耳られている日本のマスコミはなかなか伝えない。彼女達の歌は、心の広さを測るリトマス試験紙になっている。ザ・ビートルズも最初はボロクソに叩かれた。キッスもそうだった。脳が硬直した人々は、彼女達を受け入れず狭い籠の中に引き篭もっている。商業主義的だと批判する輩もいるが、資本主義社会に生きていて、あなたは全く個人で自立して生きているのかと問いたい。ザ・ビートルズも愚民化政策の一環として米政府に利用されたが、問題は受け取る我々の意識。権力は絶えずあらゆるものを愚民化政策の材料として利用するから。芸術や芸能は、民衆の自立の糧にだってなることを忘れてはいけない。要は、愚民として生きるか、覚醒するか、我々次第なのだ。
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 彼女たちの代表曲、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」は、小中高の音楽の授業で聴いて欲しいとさえ思う。彼女たちの歌とダンスのレベルの高さはもちろん、バックバンドの演奏も特筆もの。彼女達の音楽は、放射能で滅びていく日本から世界へのプレゼントだ。
[BABYMETAL] 矢沢もヒッキーも成し得なかった世界へのハードルを軽々と超えてしまった美少女達
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 政府は、「クール・ジャパン」などとほざいているが、それも大手広告代理店やマスコミや極一部の金権プロデューサーにばら撒かれ、アーティストや底辺を支える人達には全く届かない。税金の無駄遣い。そもそもクールや粋は、他人が評価する言葉で、自ら名乗るようなものではない。それこそ下衆の極み。そういう人間が日本のエスタブリッシュメントの正体である。日本の総予算に占める文化予算の割合は、たった0.12%で、フランスの7分の1以下。金額でも4分の1以下である。春樹さんがいうように、日本の政財界人、官僚は効率と既得権益の確保にしか興味が無い。伝統芸能さえまともに守ろうとしない文化果てる国である。もっとも、人類史上未曾有の福一の大事故があったというのに、国土の3分の1が確実に失われたというのに、食べて応援とか、帰還事業とか、復興とか、再稼働とか言って世界中から狂国とみなされている日本である。さあどうする。
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 これは、著作権満了のナショナル・ジオグラフィックから抜粋して私が作ったスライドショーである。1930年(昭和5年)頃は、古き良き日本がまだあった時代である。しかし、同時に軍国主義が台頭し、国際社会からの孤立を深めていった時代でもある。日本が道を踏み外し始めた時代と言ってもいいだろう。当時の人口は、6500万人ほどだった。もちろん放射性物質による汚染もなく、工業化もまだ一部で、海も川も山も本当に美しかった。BGMはGragebandで作ったオリジナルのピアノ曲。単に既存のメロディーをアッセンブリーしただけなのだが、誰のなんていう曲ですかなどと問い合わせがあってこそばゆい。

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 今日はここまで。リンクの動画は削除されることもあるので、その場合は曲名とミュージシャン名で検索してください。次は、「冬に似合うジャズアルバム。キャットの定盤(番)、ホットウィスキーと共に」

春に似合うアルバム。私の一推しはこれ。『April in Paris』

 70年代当時の東京の冬というのは結構寒くて、雪もよく降った。なにせ原発が三基しかなくて発電に回る二倍という膨大な量の温排水が殆ど無かったわけだから当たり前だ。ところが2014のこの冬は一基も稼働していないせいか、はたまた地球がNASAの言うように太陽活動の低下によってか、恐らくその二つの相乗効果だろうが、厳冬の上に歴史的な豪雪に見舞われた。いつまで経っても信州の里山には残雪があり、春は来るのだろうかと心配したが、3月下旬になって一気に春めいた。こうなると信州の春は気ぜわしく忙しい。梅、杏、桜、山桜、桃、林檎と一気に咲き抜けていく。信州の春は短い。
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 国分寺ピーター・キャットの春というのは、やはり学生が休みの3月よりも、新学期が始まる4月。続々と帰郷していた学生たちが戻り、店に活気が復活する。先輩に連れられた初々しい新入生も来るようになる。ジャズ喫茶というとジャズオタクの学生やサラリーマンばかりという印象だが、国分寺ピーター・キャットは、女性客も多かった。武蔵美や津田塾の女子大生もたくさん来てくれたし、下は中学生からOL、有閑マダムまで、女性客は少なくなかった。
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 印象に残るのは二年目の1975年の春かもしれない。東風が吹く桜の花びらが舞い散る玉川上水を歩いて大学に通ったものだ。デートで、井の頭公園や代々木公園にも行った記憶が蘇る。国立の大学通りの桜も見事だった。
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 私が所蔵するアルバムから、春にまつわる好きなアルバムと曲を集めてみた。秋に比べると意外に少ないのに驚いた。
April in Parisカウント・ベイシー・オーケストラ。春に似合うアルバム。私の一推しは、やはりこれ。パリの凱旋門をバックに、ご婦人に赤い花束を渡すベイシーがジャケット。愛溢れる名演奏。エンディングテーマは、One more time! Let’s try! One more ONCE! と3回繰り返されるが、ライブでは興に乗ると5回も繰り返したそうだ。
『merrill at MIDNIGHT』ヘレン・メリルの「SOFT AS SPRING」ニューヨークのため息と言われる彼女の繊細なハスキーボイスがたまらない。


『A DAY IN THE LIFE』ウェス・モンゴメリーの「WINDY」爽やかに吹き抜けていく春風のような心地良い演奏。70年代のショッピングセンターでよく流れていた記憶がある。


『O MUNDO MAR AVILHOSO』アントニオ・カルロス・ジョビンの「CHOVENDO NA ROSEIRA」薔薇に降る雨という少しせつない春の歌。あなたは誰のものでもない……と歌う。

www.youtube.comSONNY CLARK TRIO』ソニー・クラークの「I'LL REMENBER APRIL」必ず思い出すだろう煌めく陽光に包まれたあの4月。色々なジャズメンが演奏しているが、彼のブルーノート盤がやはり光る。

www.youtube.com『THE CONCERT IN CENTRAL PARK』サイモン・アンド・ガーファンクルの一枚目B面一曲目の「APRIL COME SHE WILL(4月になれば彼女は)」 ジャズナンバーではないのだけれど、大好きな所蔵盤の大好きな一曲。恋の訪れと、やがて来る別れを季節の移ろいに乗せて歌ったものだが、韻を踏んだ詞が物哀しくも美しい。1981年ニューヨーク、セントラルパークでの演奏が、30年後にYoutubeで観られるとは、誰が想像しただろうか。

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【信州の里山】五一山脈踏破 Goichi Mountain range in Nagano 『April in Paris』カウント・ベイシー・オーケストラのゴージャス且つダイナミックな演奏がBGM。坂城町の坂城神社から村上義清の葛尾城跡経由で五里ケ峯へ。 五一山脈を千曲市の一重山まで新緑と花の尾根を縦走したスライドショー。ベイシーサウンドは、なぜか信州の春の風景とよく合うような気がする。
*Yutubeでは、ハイビジョンでご覧いただけます

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 ほかにも春にまつわる名曲や名演奏はある。
Joe Pass - Joy Spring」ジャズギターというのは、春向きかもしれない。安心して聴ける演奏だ。もちろんクリフォード・ブラウンの「Joy Spring」も最高だけれども。


Spring Will Be a Little Late This Year - Ella Fitzgerald Jazz Collectionエラ・フィッツジェラルドの艶のある声がなんとも心地いい。
Chris Connor - Spring Is Here」クリス・コナーのハスキーな歌声が沁みる。
Bill Evans Trio - Spring Is Here」同じ曲だが、ビル・エヴァンスのピアノは、本当に心が癒やされる。
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 春は新生活が始まり希望の季節だが、同時に精神が不安定になり易い。寒暖の差が激しく自律神経が乱れるからだ。春眠暁を覚えずとか5月病とかいうが、気候変動の激しい春から初夏にかけては、体だけでなく心も疲れるものだ。その上、日本では春に新学期や入社、転居などを迎えるため、余計に精神のバランスを崩しやすい。そういう知識を持って、臨むといい。昔の人は、それを知っていて、「木の芽時」といって備えたものだ。そういう季節なんだと思えば、心も体も少しは軽くなる。肉や炭水化物の量を減らし、野菜や発酵食品を多めに摂る。砂糖や乳製品もできるだけ控えた方がいい。心も体もデトックスが必要な季節。蕗などの苦い山菜や抗酸化作用のつよいコシアブラなどの山菜やノビルやヨモギなどの野草を食べるのもいい。それが野生動物や先人の知恵だ。もちろん放射能汚 染されていないものを。
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 春は恋の季節でもあるが、そもそも恋というのは、精神のホルモンバランスが崩れること。快楽を司るドーパミンの大量分泌が恋愛を支配する。しかし、支配するのは恋愛だけではない。想像力や創造力も喚起する。脳は訓練次第で、経験からやりがいという報酬を得てドーパミンを放出し、それを糧とすることができることが既に分かっている。自然界はうまく出来ていると思うべきだろう。按ずるべからず。恋せよ乙女。あっ、熟年熟女もね。私もです。精進しましょう。
Falling in love with love 恋に恋してHelen Merrill with Quincy Jones Septet。
ニューヨークのため息を最後に。


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 今日はここまで。次は秋に似合うジャズ。ピーター・キャットでかかっていたあの名曲