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『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

目次 [CONTENTS]


◉ご要望が多かったので目次を作りました。目次は常にトップに表示されます。ここからお好きなページに行くことができます。
 現在二つの原稿を執筆中ですが、多忙のため(他にやらないといけないことややりたいことが多すぎて)進みません。気長にお待ち下さいませ。

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このフォトエッセイを、書籍化していただける出版社がございましたらご連絡をお待ちしています。未発表の写真も加え、リライト、再構成、加筆します。動画や紹介した曲はアルバムジャケットやライナーノーツで紹介も。国分寺ピーター・キャットとその時代を鮮やかに浮かび上がらせる本になると思います。
 また、拙書『信州の里山トレッキング東北信編』には、真田丸関連の山がたくさん記載されています。写真使用やフォトエッセイのお仕事もお待ちしています。お気軽にお問い合わせください。

blog.goo.ne.jp

 

冬に似合うジャズアルバム。キャットの定盤(番)、ホットウィスキーと共に

 以前、『冬のうちに書くつもりが、春になってしまった「ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件」』でデューク・ジョーダンの『フライト・トゥー・デンマーク』などを紹介したが、意外と冬をテーマにした曲は少ない。しかし、クリスマスとなると、ジャズの名曲、名演奏はいきなり増える。いつのクリスマスだったろうか、春樹さんに誘われて国分寺の北口へクリスマスのジャズ・アルバムを探しに行ったことがあった。買ったのはフランク・シナトラのアルバムだった。そのアルバムは持っていないけれど、後に息子達が小さな頃に、『White Christmas』というオムニバスの二枚組のCDを買って、クリスマスになるとよく流した。ビング・クロスビーフランク・シナトラルイ・アームストロング、マヘリア・ジャクソン、ローズマリー・クルーニーなどのヴォーカルが50曲も詰まっているという豪華版。小さな息子達のために、出窓に小さなクリスマスツリーとイルミネーションを飾った。夜遅く仕事から帰ると、曇りガラスにイルミネーションが滲んでまたたいていた。今は独り身なのでクリスマスは無縁だが。

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 そういえばまだ独身の頃、アマゾンでクリスマスを迎えたことがあった。ジャングルの中にある辺鄙な日系人の入植地から船で帰り、アマゾン河河口の大都市ベレンに深夜着いた。アマゾン河の水面の彼方にビルから吊られた大きなクリスマス・イルミネーションが河面に映って揺れるのを、河船のハンモックから眠い目をこすりながら見ていたのを思い出す。河口から約1500キロ上流にあるマナウスの貧民街で女性ばかり3人の家に居候していたことがある。彼女達がクリスマスに田舎に帰るといってプレゼントを沢山買ってきた。その包装を手伝ったが、折り紙を添えたり、ちょっとしたペーパークラフトを付けてあげたら非常に驚いて喜んでくれた。
 彼女達のうち母子はその後ノルウェーに移住した。私が訪ねたのは真夏だったのでクリスマスは体験できなかったが、森の中にはクロスカントリーのコースがあり、図書館が併設されたスポーツセンターにはホットスパもあって、長い白夜の日々をそこで過ごすのだそうだ。気温が25度を超える日には、ケサランパサランが空を埋めるように飛んだ。友人の娘が4歳の頃に、彼女が好きなピンク色の浴衣を送ったことがある。後日送られてきたクリスマスパーティーの写真には、浴衣を着て友達に囲まれた笑顔の可愛い彼女が写っていた。彼女が7歳の時にノルウェーを訪れたが、全力ダッシュでジャンプして抱きつかれて、キャンディーを舐めたベトベトの唇で顔中にキスされた事は、決して忘れることができない。

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 冬は、ほっこりした演奏や暖かいヴォーカルが聴きたくなる。武蔵野の寒風から逃れてコンクリートの階段を下りると、心をくすぐるジャズの音が聞こえてくる。鉄の扉を開けると、熱いジャズの音楽と温かい空気に包まれてホッとする。ピーター・キャットに飛び込んだ客は、普段頼むオン・ザ・ロックではなく、チムニー・グラスに入れたホットウィスキーやホットラムを頼む人も少なくなかった。陽子さんが作ってきた肉じゃがなどもすぐに売り切れた。そんな寒い日には、心底ただ甘いヴォーカルが聴きたくなるものだ。自然とそういうリクエストが多くなった。実際、赤城颪関東平野を駆け抜けて東京を吹き抜ける空っ風は、乾燥しきっていて身も心もカサカサにする。反対に、夏季は湿った海風に覆われ、信州の母はお前が送ってきたものは全部カビ臭いと常々言っていたものだ。冬は冬でコンクリートの建物は結露するので、冬でもカビが生えるから厄介だ。
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 まずはチェット・ベイカーの名演奏から、「Winter Wonderland - Chet Baker & The Lighthouse All-Stars」こんな美しいクリスマスのジャズ演奏もないだろう。

Christmas Waltz - Chet Baker & Wolfgang Lackerschmid

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キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』、『TRESURE ISLAND』、『Death and the flower』。

Steve Kuhn『ECSTASY』、Paul Bley『Open,to love』、チック・コリアゲイリー・バートン『CRYSTAL SILENCE』。

 

 私が持っている冬に似合うアルバムを並べてみた。左から、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』。これは『村上春樹さんが絶対にかけちゃだめと言ったアルバム』の一枚で、店でかけることはなかったが、家ではよく聴いたし大学のキャンパスでもよく流れていた。クリスタルなピアノの響きが冬にピッタリだと思う。

 次は彼の『TRESURE ISLAND』という1974年のアルバム。アメリカン・カルテットと呼ばれたキースのバンドで、私は非常に好きだった。

 一方、欧州ではヨーロピアン・カルテットを組み、リリカルな演奏を聴かせてくれた。次も彼のアルバムで『Death and the flower』。赤いバラのジャケットが印象的で、リクエストも多かった。この二枚は、よくかけた記憶がある。

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 次の三枚は、いずれもドイツのECMレコードのもの。ベルリン・フィル”のコントラバス奏者だった、マンフレート・アイヒャーが、The Most Beautiful Sound Next To Silence"(沈黙の次に美しい音)をコンセプトとして、キース・ジャレットを始め、多くのジャズ・ミュージシャンのアルバムを世に送り出した。Steve Kuhn(スティーブ・キューン)の『ECSTASY』は、1974年に出したソロアルバム。ECMサウンドに共通する冷たい透明感や緊張感が溢れている。

 次は、Paul Bleyの『Open,to love』というソロピアノのアルバムから『Ida Lupino』という曲。聴くと分かるが、透明感だけでなく音の雪崩が起きた様な情熱的な演奏も入る魅力的な曲。作曲は奥さんだったカーラ・ブレイ

 最後はキース・ジャレットと共にECMの二大巨匠、チック・コリアヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンと共演した『CRYSTAL SILENCE』。まさに水晶の静寂というべきクリスタルな演奏。間違いなくECMの名盤の一枚。

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 ナット・キング・コールの甘いヴォーカルは、冬の定盤だね。「Mona Lisa」。なんて美しい曲なんだろう。

Unforgettable」。娘のナタリーとの共演。「Natalie & Nat King Cole - When I fall in Love」。彼の甘い歌声は熟女殺しかな。冬の信州の凍結したワインディングロードで聴くと、アクセルも控えめになって具合がいい。スタッドレスを過信していると、必ず事故るんですよ。北国の冬を甘く見てはいけない。

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 在京時代に、主に夏と冬に家族で信州に帰省した。息子達が小さかった頃に、上信越自動車道で信州に入ると必ずかけたCDがある。中学の後輩で、今や世界的なアコーディオン奏者、COBAの『シチリアの月の下で』というアルバムだ。これの一曲目が「SARA」という曲なんだが、本当に素晴らしい曲で、夏の木漏れ日の中を走る時も最適だし、白銀の信濃路を走るのにもピッタリの曲。SARAというのは、彼が下宿していた家の若夫婦に生まれた娘の名前で、これに関しては、彼が「僕のSARA」という非常に面白い感動的なブログを書いている。上信越自動車道軽井沢辺りでこのアルバムをかけると、佐久、小諸を過ぎて、ちょうど東部湯の丸辺りで終わる。

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レゲエ・クリスマス、ウェス・モンゴメリー『A Day In The Life』、日野皓正、菊地雅章ジョー・ヘンダーソンの『JOE HENDERSON AND KIKUCHI, HINO IN CONCERT』。

マル・ウォルドロン『SKIPPIN’』、スタンリー・タレンタイン『LET IT GO』、ポール・デズモンド『Glad To Be Unhappy』。

WHITE Christms 1. 2

 

 クリスマスとジャズというのは相性がいいのだろう。名盤が結構ある。特にヴォーカルは、ありすぎて困るほどだ。左は、ジャズではなくレゲエ。ジングルベルや赤鼻のトナカイなどの定盤をラスタマンが思い切りレゲエで歌っているという珍盤。アマゾンでクリスマスを迎えたことがあるが、熱帯や南半球のクリスマスは真夏なので、水着姿のサンタがいたね。セクシーなサンタもいるけど、基本的に日本と違って商業的行事ではなく宗教行事なので、家族で静かに過ごすのが定盤。次は、ギターの名手、ウェス・モンゴメリーの『A Day In The Life』。ピアノがハービー・ハンコック、ベースがロン・カーターという豪華な顔ぶれ。ビートルズの名曲をカバーして、フュージョン・ジャズの先駆けとなった名盤。決してイージー・リスニングではないですよ。

 次は、日野皓正、菊地雅章ジョー・ヘンダーソンの『JOE HENDERSON AND KIKUCHI, HINO IN CONCERT』。アルバムにはない「Dancing mist」の演奏。1971年8月5日 東京・都市センター・ホールのコンサートから。真夏のコンサートだが、真冬に湯気が立つホットウィスキーを両手で抱えながら聴きたい熱い演奏。

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 マル・ウォルドロンといえば、ビリー・ホリデーに捧げた『LEFT ALONE』がなんといっても有名で店でもリクエストが絶えなかったが、この『SKIPPIN’』は、所謂ジャケ買いというやつで、洋酒の瓶が並ぶジャケットが気に入って買った様な気がする。しかし、ハード・バップの演奏も聴き応えがある一枚。次は、テナーサックス奏者、STANLEY TURRENTINEの『LET IT GO』。当時奥さんだったシャーリー・スコットのオルガンとの演奏が非常に聴き心地が良い大好きなアルバム。ベースは、ロン・カーター

 一番右は、ポール・デズモンドの『Glad To Be Unhappy』。好きな曲はB面の一曲目の「A Taste Of Honey」。ウエストコースト・ジャズを代表するサックス奏者。ジム・ホールのギターとの共演が優しく心地いい。雪が深々と降る静かな冬の夜に聴きたい一枚。

 そして、手前のCD二枚が、ジャズボーカルが50曲も詰まっているという豪華版のアルバム。「ホワイト・クリスマス」はジャズの定盤で、色々なジャズメンが演奏したり歌っている。ルイ・アームストロングフランク・シナトラのは定番中の定盤。

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 ハッピー・クリスマス:ジョン・レノン。戦争がなくならないのは、戦争で金儲けを企む輩がいるから。戦争は米の公共事業。世界の軍産複合体こそが人類の敵である。強大な多国籍企業の農薬メーカー、医薬品メーカーも同罪。

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 文豪チャールズ・ディケンズの古典的名作を映画化したクリスマス・キャロル」 予告

 ユーチューブで、1970年台のムービーを探していた見つけた8ミリムービー。当時の風俗や空気が感じられるとっても素敵な動画だ。承諾を得て紹介させていただく。

『新宿 1975,冬』by yumejizoさん

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 トレンチコート、ダスターコート、スタジャン、ベルボトム。若い男性にパーマをかけた長髪が多いのも時代。新宿東口の昭和感が凄い。まだ開発途上だった西口の寂寥感。映っている幼女も40代だろうし、老人はほぼ亡くなっているだろう。女子高生も50代の熟女だ。ブルース・リーの看板が懐かしい。よく行ったのは三峰、伊勢丹、タカノフルーツパーラー、サブナード等々。タカノフルーツパーラーの6階にはワールドレストランがあって、ドイツ、イタリア、ハンガリー、インド、スペイン、南米などの料理が食べられた。デートで使った思い出がある。世界堂は遠かったが、美大生御用達の店だった。新宿サブナードは、1973年にオープンした。お洒落なテナントがたくさん入った。浪人時代だが、メンズビギの店で、コーデュロイの黒いスリムなジャケットを買ったが、これはお気に入りだった。チョコレート色のトレンチコートを確か三峰で買ったような記憶もある。大学に入る頃には、ファッションはJUNなどのヨーロピアン・カジュアルから、雑誌『POPEYE/ポパイ』や『Hot-Dog PRESS/ホットドックプレス』の影響で、アメリカン・カジュアルへと移っていった。紀伊國屋に本を探しに行った時は、必ず地下一階にあるインドカレーの店に立ち寄った。モンスナックという創業昭和39年の老舗なんだね。今回調べて初めて店名を知った……。

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 学生の分際なので、さすがにキャバレーは行かなかったが、地球飯店とかWINPY(ウィンピー)は行ったね。風月堂、DIG、DUG、PITIN、洋食アカシア。ゴールデン街新宿西口思い出横丁渋谷ののんべい横丁(小便横丁)やジャンジャン等に頻繁に行くようになったのは、大学を出てからだった。のんべい横丁の野川は、所謂(マスコミの)業界人が集まる店でよく行った。半月というはんぺんを使った名物料理は、我が家の定番にもなりよく作った。ここでナンシー関さん一行と出会って飲んだのも、今となっては懐かしい思い出だ。新宿は、西口のぼるが、バガボンド東口のその2とか……。『Place(場所の記憶)』という当時を非常によく記した写真が豊富なサイトがあったのでリンクしておく。当時を知っている人には、涙なしでは観られない画像ばかりだろう。

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冬の武蔵野美術大学。打ちっぱなしのコンクリートが余計に寒々しい。キースのソロコンサートのリリカルな調べが、キャンパス中に鳴り響いていた。

 

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 特に冬の話題というわけではないのだが、ちょっと寒々しい話ということで。村上春樹さんの『1Q84』ではなく、「IQ(アイキュー)84」という記事をブログに書いたことがある。IQ84というのは、まあ普通の頭脳か、ちょっと劣る程度。IQというのは絶対的な数値でもなければ知能を測る唯一の方法でもない。生活年齢と精神年齢の比を基準とした知能指数測定と、同年齢の中での偏差値知能指数があるが、通常は前者をいう。
 子供の頃すごく精神年齢が高くて大人になっても子供みたいな人(アダルトチルドレンのことではない)は、年をとるに連れてIQが下がるわけだ。知能に生得的、遺伝的基盤があることには疑いがないが、生活環境や、その変化によっても変わるわけだから、鳶が鷹を生むこともあれば、その反対もある。ただこの数値には、もっている鋭い感性は測定不能で含まれない。中学一年の時だったかIQテストを受けて、非常に高かったので担任が驚愕していたが、現在は極めて凡人である。低くても高くても案ずることはない。いくら高くても思考を止めてしまった愚民になったら奴隷と変わらない。

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1Q84』だが、ジョージ・オーウェルの『1984』をどこかで意識した作品と各所でいわれている。終戦後の1948年に書かれたというオーウェルのこの小説は、第二次大戦後に台頭したソ連などの全体主義国家への風刺的な作品として描かれた近未来小説である。私はこの作品を1983年の冬、南米のブラジル、ボリビアへの放浪の旅の途中に読んだ。ブラジルは軍事政権であり民政化への兆しが見られ、85年に民政化した。100万人規模のデモが、サンパウロリオ・デ・ジャネイロで行われブラジルの新聞の一面トップを飾った。愚民化政策で洗脳された日本では考えられない規模のデモだった。ボリビアは1982年に民政化されたばかりだった。その前は、半年に一度軍事クーデターが起きるという有様で、滞在当時も橋の封鎖デモもあり緊張した。
『1984』に描かれた世界は、街中に監視カメラが設置され、行動が24時間政府の手によって見張られるという近未来都市の描写。それはかなり衝撃的なものだった。同時に読んだ大人の寓話『動物農場』も、極めて近未来的暗示的な作品である。
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 しかし、現在を見てみれば大都市には街中に監視カメラが設置されている。違うのは表向き全体主義国家ではないということ。それでも、全てがある強固なシステムの中にはめられているのは確かである。商業主義的なマーケティングの手法が行き渡り、予定調和的な流行が街並みにも商品にも溢れかえっている。そこには自発的なムーブメントのようなものさえ計算されて存る。大手広告代理店やマスコミで働いている、賢明な所謂業界人なら分かるだろう。形而下的には、全体主義国家の無機質な景観と対局にありながら、その根元的な本質においては、全体主義国家のそれと相似率が限りなく高まってしまうという皮肉。

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 1984年は、アップルのMacが生まれた年。軽薄短小でバブル景気前夜。ポストモダンが台頭し、近代主義を支えた大きな物語の終焉と新たな様式を提唱したのだが、なんだか目の利かない骨董親父をだますような突拍子もない作品ばかりが街に溢れかえったのは皮肉なことだった。と、現在を見るとネット文化の普及で情報はかつてないほどグローバル化して、近代と現代の境界線を明確にしてしまった。ポストモダン自体が現代からはじきだされるという、これも皮肉な現象も起き、バーチャル世界に翻弄されているのは、もはやネットおたくだけではないという現実がある。メディア・リテラシーを鍛えないと、ネットで情報を得ているから大丈夫という時代ではない。

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『木を植えた男』(ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック画)という1982年にアカデミー賞短編映画賞を受賞したムービーがあるが、さしずめ私が信州の里山でひとりで始め、次いで仲間が増えて始めたことは『木を切る男』というところである。舞台のプロヴァンスや木を切り尽くしたスペインでは木を植えることが再生になるが、里山が放置されてきた日本では、まず除伐が再生への道となる。実はこのことが分かっていない人が多い。私が帰郷してうちの山でしたことは、半年以上かかって1000本以上の木を切ることだった。里山は人の手が入って保全されてきたものだから。伐採は、必ずしもその木の死を意味しないということも理解できない人が多い。いずれにせよどちらも森の再生の話である。森の再生は、人の再生でもある。しかし、切って森を再生するという行為は、原罪を背負いながら生きるような側面があるのも確か。『木を植えた男』は絵本にもなっていて、息子たちが小さい時にクリスマスプレゼントであげたことがある。

『MY LIFE AS A DOG』という1985年のスウェーデン映画があった。1950年代のスウェーデンの薄幸な少年を描いた映画だが、日本の少年もスウェーデンの少年もそう変わりはなかったんだなと染み染み感じたいい作品。思ったのは、何の因果か人工衛星に乗せられてしまったライカ犬のような人生にも、爪の垢ほどの希望はあるということだろうかということ。確かあの世界で最も有名になった(本人はその事実を知らないが)犬は宇宙の塵と消えたのではなかっただろうか。どんな有名人も富豪も最後は塵となるのが世の定め。核=原発、戦争を止められない愚かな人類を思うと、形而上学でいうところのレーゾン・デートル(存在理由)を考えずにはいられない。

               ◆

1Q84』は、明快なエンディングではないそうだが、それでも地球は回り続ける。でもいつかは止まる。アーサー・C・ークラーク原作、スタンリー・キューブリック監督の『2010年宇宙の旅』の結末を覚えているだろうか。なんだか飽きちゃった。そういってアキラが宇宙のスイッチを消さないといいのだが……。

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 今日はここまで。リンクの動画は削除や消去されることもあるので、その場合は曲名とミュージシャン名で検索してください。

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