「ピーター・キャット」のバイトをしている時も、忙しい中よく映画を観に行った。当時、デートといえば映画を観に行くことではなかったかな。もちろ ん一人でも男友達とも行ったが。よく行ったのは、渋谷の全線座。いわゆる二番館である。300円で2本立てであった。ロードショーをやる封切館は高くて、 よほどの事がないと行けなかった。よほどの事というのは、女の子とつき合い始めたばかりとか、まあそういうことだ。国分寺にも北口に「国分寺名画座」が あったが、入ったことはなかった。普段はポルノ映画上映で、もし入る所を同級生や下級生の女の子にでも見られたら大変だしね。
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その後、大学3、4年時に住んだ国立では、旭通り沿いにあった「国立スカラ座」には何度も通った。こじんまりしたいい映画館だった。ロビーでスチール写 真を売っていた。確か、『ドクトル・ジバゴ』もここで観た。パステルナークの名作だが、観ていない人に簡単に説明すると、ロシア革命前後の不倫物語である。などというと、軽い恋愛映画かといえば、そうではなく、原作は、ソ連では反革命的として発禁になった書である。重く、哀しく、美しい映画だ。『ラーラのテーマ』を聴くと、今でも心臓を握りつぶされそうな切なさを覚える。
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アメリカン・ニューシネマ全盛期は、高校生か受験浪人だったため、リアルタイムではほとんど観ていない。その多くを後年二番館で観た。『俺たちに明日はない』、『卒業』、『イージー・ライダー』、『明日に向かって撃て!』、『真夜中のカーボーイ』、『2001年宇宙の旅』、『時計じかけのオレンジ』、『フレンチ・コネクション』、『コールガール』、『ダーティハリー』など。
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72年公開の、大胆な性描写でも有名になったマーロン・ブランドとマリア・シュナイダー主演の『Last Tango in Paris』も、二番館に下りて来てから観に行った。ガトー・バルビエリのテナーが切なく鳴り響く。映画に出て来るフランシス・ベーコンの絵画が不気味に暗示的だった。ガトー・バルビエリのアルバムは、春樹さんが買って来た。結構リクエストがあった。『Yo Le Canto a La Luna(月に歌う)』は、一度聴いたら忘れられない曲。
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写真は、当時観た映画のパンフレットの極一部。70年代前半のものが少ないのは、二番館ばかりに行っていたから。ベトナム戦争の集結によりニューシネマが終わりを迎えた頃だ。パンフレットは二番館では買えないので、これらは全て封切館で買ったもの。つまり、この十数倍の映画は見ているということになる。 洋画が多いが、邦画では小津安二郎、鈴木清順、藤田敏八の作品をよく観た。洋画では、スタンリー・キューブリック、ウッディ・アレン、イングマル・ベルイマン、タルコフスキー等々。もちろん、それ以前のフェリーニやヴィスコンティなども観ている。チャップリンやバスター・キートンも好きで観に行った。小津 安二郎は、『東京物語』や『秋刀魚の味』も好きだが、無声映画時代の『突貫小僧』は、結構好きである。笑える。『大人の見る繪本 生れてはみたけれど』は、身につまされる映画です。
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南米放浪前後は、ラテンアメリカの映画も集中的に観た。ヘルツォーク監督、クラウス・キンスキー主演の『フィツカラルド』。 アマゾンの密林にオペラハウスを建てるために奔走する男の執念と狂気を描いた名作。これは、かつてアマゾンの魔都といわれたマナウスにあるオペラハウス近くの映画館でも観た。映画を観終わった後、ライトアップされたオペラハウスの横を通って借りていた部屋に戻った。1880年から1912年に起きた空前のゴム景気の象徴、アマゾナス劇場だ。借りていた建物も当時のものだった。非常に高い外開きのガラス窓を開けると、月明かりに照らされた劇場のドームが見えた。背後に黒いジャングルのシルエット。エンリコ・カルーソーのオペラが頭の中を流れた。
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先住民に捕われ育てられた白人の青年を描く『エメラルド・フォーレスト』。先住民と熱帯雨林を破壊する白人達との壮絶な戦い。そして父親の決断で巨大ダムが・・。ノーベル賞作家G・ガルシア・マルケス原作脚本の『エレンディラ』。孫娘エレンディラと彼女に売春を強いる祖母の奇妙な放浪生活の描写は、残酷で美しく、圧倒的な孤独感。とにかく素晴しいの一言。テロリストとホモの交流を哀しく描く『蜘蛛女のキス』。43歳で急逝したシネマ・ノーヴォの旗手、グラウベル・ローシャの『黒い神と白い悪魔』、『アントニオ・ダス・モルテス』。実在したブラジルの義賊(カンガセイロ)のランピオンをモデルに描いた映画である。絶望的な社会に生まれるのは、テロリストか義賊である。これからの日本を暗示する様な映画かもしれない。
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私が最も大好きな小説、コロンビアのノーベル賞作家、G.ガルシア・マルケスの『百年の孤独』も映画になっているが、これは日本で公開されたのだろうか。濃密な長編小説なので、3ヶ月かけて読んだ記憶がある。もうひとりのペルーのノーベル賞作家、M.バルガス・リョサの『パンタレオン大尉と女たち』 も日本未公開だが、見たい映画だ。この小説は絶対に通勤の電車で読んではいけないと書評にあった。私はその禁を破って読んでいたところ、ある日突然大爆笑 してしまい、大注目を浴びてしまった。なんでこんなに面白い映画が日本で上映されないのか分からない。保険会社がつまらなくしたアメリカ映画などより、よほどいい映画がラテンアメリカにはある。
『アメリカ・テラ・インコグニタ(America, terra incognita)』も、いい映画だったが見た人はほとんどいないだろう。日系移民を描いたチズコ・ヤマザキの『ガイジン』もよかった。等々・・。
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ジャズと映画といえば、真っ先に思い出すのは、フランスヌーベルバーグの鬼才ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』。マイルス・デイヴィスの即興演奏が哀しく美しい。「ピータ・キャット」でもリクエストの多かったアルバム。ウッディ・アレンの『マンハッタン』のオープニングに流れるガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』は、何度観ても美しい。特に最後の花火がね。
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しかし、東北太平洋沖地震と福島第一原発の未曾有宇の大事故で、現実がフィクションを超えてしまった。どんな映画より恐怖で、破滅的で無常。パラダイム の組み替えが必要などというレベルの話ではなくなってしまった。映画に限らず、フィクションを作る人達にとっては、人類を滅亡へと確実に導く、原発=核 が、これほど世界を支配していたという現実と向き合わずに、今後なにも作れないだろう。パンドラの箱を開けてしまった人類は、もう二度とエデンには戻れな い。
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今日はここまで。次回は学生生活や米軍ハウスについて書こうと思う。当時の立川や福生は沖縄みたいなものだった。