『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語

「ピーター・キャット」の店名は、村上夫妻が飼っていた猫の名前に由来するが、マッチのイラストは、英国の数学者で作家のルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫(Cheshire cat)。絵はジョン・テニエルによるものである。出版は、1865年なので当然著作権は切れている。「チェシャ猫のように笑う」という英語の慣用表現から作られたキャラクターで、意味のない笑いを残して消えてゆく不思議な猫。
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不思議の国のアリス』は、絵本やディズニーでは実写やアニメで何度も映画化されていてお馴染だろうが、少女が主人公なので男子の読むものではないと 思っている人もいるようだ。しかし、原作の題名が「Alice's Adventures in Wonderland」とあるように、本来は『不思議の国でのアリスの冒険』と訳すべきもので、冒険小説である。
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 作者のルイス・キャロルが、偏頭痛持ちで、モノが小さく見えたり大きく見えたりする体験(不思議の国のアリス症候群)から、この本を書いたともいわれているが、駄洒落やナンセンス、夢や幻覚、パロディや皮肉、ゲームやなぞなぞなどの要素がぎっしり詰まった、実は奥の深い物語である。故に世界で聖書の次に多く読まれる本といわれるほど人気があるのだろう。「不思議の国(ワンダーランド)」は、後に春樹さんが『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という小説の題に使っている。なにか繋がるものがあるのかも知れない。
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 村上夫妻が猫好きだったためか、はたまた偶然集まったのか、「ピーター・キャット」のアルバイターには猫好きが多かった。私もその一人である。誰にもらったかは思い出せないが、ある時小さな茶虎をもらった。私のアパートは、もちろん動物は飼ってはいけないのだが、内緒で飼うことにした。名前をキースとした。そう、キース・ジャレットのキースである。茶虎は、猫のくせに愛想がよくおっとりしている。ちょっと間抜けなところもあるが、好奇心は強い。
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 ある夜、就寝中にものすごい鼾(いびき)が頭の中でするので目が覚めた。頭の上の方で音がしたので頭を少しもたげて見ると、キースがやはり目覚めてなんで起こすんだよという顔をした。枕の上で、私の頭に頭をくっつけて寝ていたため、頭蓋骨から彼の鼾が伝導してきたのだ。まあそんなで、楽しい日々は過ぎて行ったのだが、悪いことはできないもので、ひょんなことから猫を飼っているのが大家さんにばれてしまい。泣く泣く手放すことになった。たいしたことではないのだが、ある事情で蚤が大発生して両隣の部屋に侵入したのだ。大家さんが、優しいおばさんだったので追い出されることはなかったが、猫は友人に預けるこ とになった。
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 それが、国立の小さな庭付きの一軒家で同棲していた吉田君とHさんだった。二人は東経大ジャズ研のメンバーで、店の常連だった。後に我々がバイトを止めた後、バイトに入った。彼らの練習を見にジャズ研の汚い部室に行ったこともある。同棲していたなどと書くとHさんが女性に思えるが、笑顔の素敵な大きな男性である。吉田君は、春樹さんのエッセイにも出て来る人で、トランペットをやっていた。以前は、国立の旭通りで「キャンディ・ポット」 というジャズ喫茶をやってたが、現在は富士見通りの金水ビル地下1階に移転したそうだ。私は南米から帰国した後、ブラジルで買ったサンバの女王・アルシ オーネのアルバムを持って行ったことがある。雰囲気のいい落ち着く店だ。テレビを見ないので知らないのだが、最近はなんだかタレント稼業をしているらしく CMで見るそうだ。最近若い奥さんとの間に赤ちゃんができたそうで、うらやましい限りである。
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 そんなある日のことだった。大学の授業がなかったので日曜日かもしれない。ドアをノックする音がした。開けるとHさんが悲しそうな顔をして立っていた。「ごめん。キースが死んでしまった。」、「えー………………。」
 取る物も取りあえず、中央線に乗り国立に向かった。丸山通りの坂道を国分寺の駅に向かいながら、死ぬにいたった経緯を聞いた。二人は、富士見通りから少し入った竹やぶに囲まれた小さな一軒家に住んでいた。ここが東京かというような草庵だった。部屋に入ると吉田君と死後硬直して横たわったキースがい た。
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 死んでいるのを発見したのは、確か隣家の人だった。お宅の猫がうちで死んでいると言いに来たらしい。なんでも隣家が置いておいた鼠捕りの毒団子を誤って食べてしまったらしい。間抜けな茶虎キースらしい最後だった。三人で小さな草だらけの庭に穴を掘り、簡単な葬式をして、キースをタオルに包んで埋めた。その晩は、たぶん「ピーター・キャット」に行ったと思う。二人は死なせてしまってものすごく申し訳ないと謝ってくれたが、私は二人に責任は全くないと思っていたので、今まで預かってくれてありがとうと思っていた。それをどう口にしたかは覚えていない。確か陽子さんは慰めてくれた。春樹さんは慰めつつも、なに かシニカルなことを言ったような気がするのだが、はっきりと思い出せない。ショックな出来事ではあったが、それが彼の運命だと諦めることにした。そういえば、吉田君は村上夫妻から、眼が青と金色の白い猫をもらったことがあった。名前は「かもめ」。
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 写真の「ナオコ」は、村上夫妻が飼っていたが、もう一匹の猫とどうにも折り合いが悪く、喧嘩ばかりするので、私の友人Hがもらい受けたものだ。見て分かる様に目つきがキツい。決して悪い猫ではないのだが、気位が高い猫らしい猫だった。何度遊びに行っても私には懐かなかった。「ナオコ」という名でピンと来た人もいるだろう。実はこの「ナオコ」には、命名の元になった実在の人物がいる。ストレートのロン毛で前髪パッツンの色白な可愛い女性だ。ターコイズブルーダンガリーシャツとブルージーンズのマキシスカートがよく似合っていた。仕草が猫の様な女の子だった。一時期好きだったのだが、猫の「ナオコ」同様、私には懐いてくれなかった。
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 その後、私は男友達と南麻布にあるフランス大使館横の2DKのマンションに住んでいたことがある。動物OKだったので、猫を二匹飼った。たしか南青山の 写植屋の奥さんからもらったものだ。雌の白と雄の白茶で、雌はローズマリー、雄はシナモンと名付けた。二匹は仲良しで、いつもじゃれあっていた。部屋に布のサンドバッグを下げ、鴨居に三角の厚いスチレンボードの棚を作ってやって登れる様にした。棚には真ん中に穴があって、そこから下を覗く二匹が可愛らしかった。
 いつも、狭い部屋では可哀想と、バスケットに入れて代々木公園まで行き遊ばせたこともあった。当然縄張り外なので、最初はバスケットから出ようともせず、無理矢理出すと恐る恐る芝生の上を歩いていたが、やがて慣れると木に登ったりして遊び始めた。
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 そんな二匹であったが、猫はすぐに大きくなる。大きくなると活発になる。じゃれあいも時には激しくなる。特に雄のシナモンが乱暴になってきた。ある日、 同居していたSが、ローズマリーの様子が変だと言って来た。見るとぐったりしている。熱もありそうだ。体中を調べてみると、腹部に化膿した傷があった。かなり前から傷があったようだった。恐らくシナモンが傷つけたのだろう。当時二人とも赤坂のデザイン事務所で、ある発電所のコントロールパネルの実物大模型を作っていたのだが、私だけ仕事に出向き、彼に動物病院へ行ってもらうことにした。
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 昼頃だったか、彼が仕事場に来たが涙ぐんでいた。ローズマリーが息を引き取ったという。信じられなかったが事実だった。傷を負ったことにもっと早く気がついていればと自分たちを責めたが、もう遅かった。ローズマリーは、湘南の逗子のとある椰子の木の下に眠っている。息子達が小さい頃、何度もその辺りに遊びに連れて行ったが、行くたびにローズマリーのことを思い出さずにはいられなかった。それ以降私は猫を飼っていない。
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 私が持っている『不思議の国のアリス』。Alice's Adventures in Wonderland -1907's 1st Edition 【不思議の国のアリス

 チェシャ猫は、2分49秒に出て来るが、店のマッチのイラストとは違う。『不思議の国のアリス』は、世界中から色々な本が出ているが、イラストはこれが一 番好きだ。スライドショーのBGMは、GarageBandによる私の作曲で[Alis01]。作曲といってもパーツを組み合わせてミキシングしただけ。


Alice's Adventures in Wonderland -1907's 1st Edition 【不思議の国のアリス】


 実はこの本は、76年の春休みにロンドンの書店街、Charing Cross Road と St. Martins Lane をつなぐ Cecil Courtの小さな古本屋で見つけたもの。記憶が間違っていなければ確かそうだ。当時つきあっていたピアニストの彼女がロンドンに留学していて(美人で才能豊かな女性だった)、私もR.C.A.にプチ遊学ついでにイースターの休みにフラットを借りて滞在していた。書店街では、たくさん画集などを買った。
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 この本は、1907年に出版されたもので初版本。100年以上前の本だ。挿絵はアーサー・ラッカム(Arthur Rackham 1867年9月19日 - 1939年9月6日)。『不思議の国のアリス』、『ニーベルンゲンの指輪』、『ケンジントン・ガーデンのピーター・パン』など妖精や動物たちを描いた可憐で繊細な絵を書いた画家。本は1908年のクリスマスにプレゼントとして贈られたもののようだ。ペンで書かれたLANCE HOUSEというメモが気になる。検索してみると、イギリス南部のブリストル近郊の田園地帯にある部屋がわずか2つの小さなホテル(B&B:ベッ ド・アンド・ブレックファスト)がヒットした。創業何年とは書いてないが、もしここだったら凄い。100年以上前だから、改築はされているだろうが。本の傷み方からすると、相当愛読されたようだ。いったいどれほどの英国の少年少女達の胸を躍らせたことだろう。
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ALICE'S ADVENTURES IN WONDERLAND
A Macmillan Pop-up Book

 これは、息子達が小さい時に買った『不思議の国のアリス』の立体絵本。私は立体絵本が好きで、ナショナル・ジオグラフィック熱帯雨林や恐竜の立体絵本などを買っては息子達に見せていた。『かいじゅうとう』や『おばけやしき』などは、いきなり開くと小さな息子がひっくり返るほど驚いて楽しかった。彼らの性教育も『生命の誕生』というほるぷ出版の立体絵本だった。
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 信州の田舎では、飼い猫も野良猫もそう違いはない。朝目覚めると、畑を通り過ぎて土手を越え、千曲川の河原に出かける猫が必ずいる。河川敷の葦(ヨシ)の中にいる野鼠を狩るためだ。夕方、河原で佇んでジッと北アルプスの稜線に沈む夕日を見ている猫もいた。なにも獲れなかったらしく、しばらくしてとぼとぼ と帰って行った。田舎の猫は普段人に構われないので、子猫は別として、猫じゃらしやチッチッチという音に反応しない。その代わり猫の鳴き真似をするとえらく反応する。そんなことをする人間がほとんどいないからだが。厳しい暮らしでも、都会の残飯をあさっている野良猫よりは、いい「猫生」かもしれない。
借りて来た猫」。私のブログ「モリモリキッズ」の記事。猫の諺、猫のジョーク、猫の俳句等。笑える話です。
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 今日はここまで。次回は、引越しについて。村上夫妻の三角地帯からの引越し、友人の引越し。獣の臭いのする布団