『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

村上春樹さんチョイスのバンドで「ピーター・キャット」ライブ演奏の熱い夜

「ピーター・キャット」では、ほぼ毎月二回、日曜日の夜にライブ演奏を行っていた。出演のあるジャズマンによく言われた言葉がある。10枚のアルバム買う金があったら、半分はライブに使った方がいいと。俺たちのライブに来て!というのもあるが、それを置いても真実だと思う。生に勝るものはない。セッ ションにおける各自の息づかいや、メンバー同士のバトル。特に観客とのグルーブ感は、その場にいないと本当には分からない。しかも、ホールでなく小さな店 でやるわけだから、その臨場感は半端ない。子宮に響くと言った女性がいるのも分かる。レコードやCDでは聞こえない周波数も感じることができる。
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 女優の加賀まりこさ んが「上質なジャズは、上質なサッカーと似ている。」と言ったことがある。インプロビゼーションの妙。即興演奏こそがジャズの命。サッカーもそう。全く同じプレイは二度とできない。相方達との呼吸が全て。行く時は一緒でないといけない。彼女はよく分かっている。1964年の『月曜日のルカ』は、もちろん同時代には観ていないが、横浜のクラブで働く、男を喜ばせるのが生き甲斐という天性の淫婦ユカを見事に演じた。誰とでも寝るが決して唇は許さないという古典的な娼婦。ダンス・ジャズ曲などの音楽は黛敏郎。後年1981年の小栗康平監督の『泥の河』。彼女は、ここでも娼婦を演じている。当時38歳であるが、信じられないほど哀しく美しい。おばあさんになっても素敵な女性です。

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フォト・コラージュ。何かの課題で制作したものだろう。
典型的な70年代の写真ばかり。インプロビゼーション

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 ライブの日は、以前店内の俯瞰図を描いたが、イラストの上部にバンドが配置された。ピアノを上に移動して、テーブルセットを下げる。カップル用テーブル セットは外に出したかもしれない。ライブを始めた当初はそうでもなかったが、知られるに連れて人気が出た。バンドメンバーの彼女や友人も来ただろうし、お客も増えて店内は毎回もの凄い熱気に包まれた。ライブに勝るものはない。日によっては、満員で入れない人が出ることさえあった。イスが足りずに入り口のベ ンチチェストに、馴染みのお客さんに座ってもらったこともあった。非番で観に行った時は、私らバイトは立ち見がほとんどだった。注目の若手や、知り合いのジャズメンの時は必ず聴きに行った。
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 ライブ・セッションの日がバイトだと、ラッキーだが忙しかった。曲の合間にオーダーがどっと来る。カウンター内はてんてこ舞いであった。ただ、演奏中は概ね暇なので演奏を堪能できた。私は、ミルト・ジャクソンが好きだったので、ヴァイブラフォンの生演奏を身近で聴いた時は、本当に感動した。出演メンバー は、大御所ではなく、売り出し中の、あるいは、これから売り出そうという若手が中心だった。その中には、現在日本のジャズシーンの中枢を担う人も沢山いる。全ての出演者を覚えているわけではないが、特に印象に残っている人達を挙げてみよう。ただ、記憶違いもあるかもしれない。ご容赦を。
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男が女を愛する時」 水橋 孝カルテット。1974年発売のアルバムで、出るとすぐに春樹さんが買って来た。人気があり、リクエストも多かった。このアルバムは、大友義雄 (as),辛島文雄(p),水橋孝(b),関根英雄(ds)中村誠一(ts,B面のみ),向井滋春(tb,B面のみ),山本剛(p),福井五十雄(b) 小原哲次郎(ds),鈴木勲(celo),和田直(g)と豪華なメンバーだった。トロンボーン向井滋春さんが、ライブをしたと思うのだが、どういう面子だったかは記憶にない。
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 板橋文雄さんは、リリカルで美しい反面、激しさも持った演奏が素敵だった。「渡良瀬」は、非常に好きな曲。ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」のセッションもいい。迫力あるソロ演奏も凄く好きだ。

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 山下洋輔トリオに入る前の小山彰太さんも、誰のバンドでかは忘れたが、ライブ・セッションに参加したことがあった。彼自身のバンドだったかもしれない。演奏は、フリージャズではなかったと思うが、店が壊れるかというほどの迫力があった。彼の激しいドラムは、上の寺珈屋を突き抜けて、漆黒の国分寺の空に尽きぬけて行ったに違いない。
 小山彰太さんには、やはりフリージャズが似合う。「ダイロー×坂田明×彰太「インプロ音楽祭・春」より@yokohamaエアジン2011」。「ピーター・キャット」では、春樹さんの趣向で、フリージャズはかけなかったが、私は大好きではまった。即興演奏が、どこまでもグルーブして昇天していく様は、何物にも代え難いエクスタシーを感じる。


 75年だったかな。イイノホールで行われた、山下洋輔トリオとマンフレッド・ショーフ・セクステットとのバトルはもの凄かった。坂田明がキレキレで、彼がソロを始めると、マンフレッドの面々が思わず苦笑いするほどぶっ飛んでいた。二つ前の席に在りし日の殿山泰司さんがいて、体を揺らしていた。
 フリージャズは、放射能で汚れてしまった今の日本に最も相応しい怒りと哀しみの音楽だ。「山下洋輔トリオ GUGAN」。


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 高瀬アキさん「SMCオーケストラ イースト・ウインド」1975年7月16日 新宿・朝日生命ホールファーストコンサートでのライブ。さすがに「ピー ター・キャット」では、ビッグバンドの演奏は無理だったが。店では、カルテットかトリオで演奏したと思う。女性ボーカルの人もライブをしたと思うのだが、 思い出せない。ビッグバンドは、国立の一橋大学の学園祭にサド・ジョーンズ&メル・ルイス・オーケストラが来たので聴きに行った。彼は、かつてカウント・ ベイシー・オーケストラにもいた。とにかくゴージャスな音に魅了された。特に「エイプリル・イン・パリズ」は大好きな曲で、私の「【信州の里山】五一山脈踏破 Goichi Mountain range in Nagano 」のBGMにも使っている。新緑の萌える信州の里山と、北アルプスの白く美しいスカイラインに、ピッタリと合っていると思うのだが、どうだろう。


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 佐山雅弘さんの「【佐山雅弘(P)、井上陽介(B)、大坂昌彦(Ds) 】.wmv」曲はサマー・タイム。大坂昌彦さんのドラムソロから入る。思わず引き込まれるいいセッションだ。二曲目は、なかなか思い出せなかったが「シェルブールの雨傘」。ミュージカルで、歌の部分はダニエル・リカーリ。カトリーヌ・ドヌーブが哀しく美しかった。1964年のフランス映画だが、当時はフランス&イタリア映画全盛だった。


 佐山さんは、国立音楽大学当時、私の友人が住んでいた国立の米軍ハウス近くのアパートに引っ越して来た。友人がアート・ペッパーを聴いていたら、ガラスの花瓶を持って挨拶に来たそうだ。どうやらサックス・プレイヤーだと思われたようだ。今や日本のジャズシーンを牽引する人である。
当時のジャズメンのつながりも分かるロング・インタビュー。(2005年3月31日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)
★「カトリーヌ・ドヌーブ(クレオパトラの夢)バド・パウエル
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 生活向上委員会にいたベースのヨネキさんは、彼女とよく来ていた。ベースを乗せるために大きな中古のアメ車に乗っていた。「ピーター・キャット」の前に停めると、邪魔なのですぐ分かった。彼は佐山さんのバンドで出たのだろうか。彼女共々面白くて優しい人だったけれど、ベーシストは縁の下の力持ちで優しい人が多い。ドラマーは筋肉フェチ、ナルシストで変態が多いとか聞いた。ピアニストはインテリが多いが変人。サックスプレーヤーは、女たらし。ギタリストは マイペースで、恋人がギターという変態が多い。スイングジャーナルから1962に、『楽器別ジャズメン性格占い』なんていうとんでも本が出ていたのも可笑しい。楽器が性格を作るのか、性格が楽器を選ぶのか不明だが、それぐらいジャズメンにはクレージーで面白い人が多かったということだ。信州産の山猿の私が、アマゾンまで、とんでも放浪の旅に出る様になったのも、彼らとの付き合いがあったからである。間違いなくジャズメンは、私の人生を狂わせた。
 後に柳ジョージ&レイニーウッドに入ったサックスの鈴木明夫さんもライブをやったし、店にもよく来ていた。一緒に27歳の美しいママがやってるスナックにも飲みに行った。彼の話は「視線だけで行かせる技」とか面白かったが、ほとんど女にまつわる話だった。女はジャズの肥やし? どこかで聞いた言葉だが、彼は私の女学の先生のひとりである。
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 ライブ・セッションが終わってお客さんが帰り、メンバーが楽器を片付け、誰もいなくなると、その虚脱感も凄かった。激しい音の余韻だけが店内中に残っているのである。言霊(ことだま)という言葉があるが、それは音霊(おとだま)ともいうべきものだった。
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 今日はここまで。次回は、ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件。