『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々

「ピーター・キャット」のオーディオ・システムは、プレイヤーが、デンオンDP3000。カートリッジが、シュアーV15III。プリメインアンプ が、サンスイAU6600。スピーカーが、JBL・L88プラスだった。JBLのスピーカーは、最高級のパラゴンが吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」にあった。同じ吉祥寺の「アウトバック」は、アルテックのA7だった。その力強い音は、数多くのジャズファンを魅了した。パラゴンなど、夢のまた夢だったが、 できる限り最上の音を求めて、必死にアルバイトをして買ったのが、以下のシステムである。それ以前は、ステレオといえばオールインワンだったが、コンポー ネント・ステレオといって、自分でシステムを組むものが主流になってきた時代だ。

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 プリメインアンプは、名器といわれたラックスマン[LUXMAN]のL-507ラックスマンは、なんと創業が1925年、ラジオ放送が始まったと同時に操業開始という、世界のオーディオメーカーの中でも最古参に入る会社。このモデルを買った当時は、ラックスという社名だった。石けんじゃないですよ。写真の絵は、カンプ(comprehensive layout)といって、完成予想図や仕上がり見本のこと。これは、インダストリアルデザインの課題として描いたもの。プロはパステルやブラシでスーパーリアルに仕上げるのだが、そこは学生なので、安価な画材の鉛筆と色鉛筆で。今の学生ならフォトショップイラストレーターだろう。出来上がりとしては、カ ンプとしては手をかけすぎて、描き込み過ぎ。プロはもっと簡単にシャープに仕上げる。ただ、製品に対する愛情があるので、それなりに丁寧な仕上がりになってはいると思う。とにかくヘアライン仕上げが抜群に美しいお気に入りのアンプだった。
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「ピーター・キャット」は、サンスイだったし、友人達もサンスイやトリオ、オンキョー、デンオンなどだったと思う。バイク乗りはヤマハを持っていたね。そ んな中で、私はあえてラックスを選んだ。理由は、その美しいデザインと、ジャズやロックだけでなくクラシックを聴きたかったから。ラックスは、真空管アンプ でも有名で、その響きはラックストーンと呼ばれ、今も世界中の音楽ファンを魅了している高級ブランドである。真空管からトランジスタになっても、ありがちな無機質な音ではなく、なんとも艶のある柔らかさが特徴だった。スイッチを入れずにただ眺めていても惚れ惚れするような美しいデザインだった。ただ、当時 としては、友人が買った中古車よりも高いという、学生には分不相応の代物でもあった。
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 プレイヤーは、これも一世風靡した名器、マイクロ[MICRO]SOLID-5。 カートリッジは、シュアー[SHURE]。SOLID-5は、スイング・ジャーナルやオーディオ雑誌でも、絶賛されたプレイヤーだった。まず、木質感たっぷりで、シャープなデザインに惹かれた。回転数のチェックのためのストロボとネオンランプが美しかった。カートリッジは、当時評価の高かったシュアーだが、型番は忘れた。以前書いたが、このプレーヤーは、「ピーター・キャット」のものが壊れて修理中に、春樹さんに頼まれて一週間ほど貸したことがあったが、評判がよかった。お礼は、確かバーボンのボトルだったかな。
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 スピーカーは、実はよく覚えていない。たいしたものは買わなかったから。理由は、音が筒抜けのモルタル・アパートでは、いいスピーカーを買っても、音量を上げられないからだ。ポルシェを買って最高時速50キロしか出せないようなものだ。高性能が無駄になる。確か、デンオンの入門器を買ったような気がするが定かではない。
 その代わり、ヘッドフォンに張り込んだ。ヘッドフォンではなく、わざわざイヤースピーカーと名乗る名品といえば、分かる人には分かる逸品。スタックス[STAX] エレクトロスタティック(コンデンサー)型イヤースピーカー。型番は忘れたが、国産の中級のスピーカーが変える位の値段だった。コンデンサータイプのもの は、中高音やボーカルの音が素晴しい。現在も高級ヘッドフォンとしては右に出るものがないだろう。試聴したら、これがヘッドフォンの音かと驚くはずだ。
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 そういえば昔、ザ・タイガースのジュリーは、四角いコンデンサータイプのマイクを使っていたね。黙りを決め込んだり、御用芸能人が多い中、彼が、脱原発ソングを作って歌ったことには感動を覚えた。反原発ソングといえば忌野清志郎を忘れてはいけない。『RCサクセション サマータイムブルース〜LOVE ME TENDER』 をぜひ聴いて欲しい。彼は3.11を予見していた。彼が歌った国立の多摩蘭坂は、当時の彼女とよく歩いたものだ。蒸し暑い真夏の夜に、内藤橋から多摩蘭坂 へ下る坂道にサルビアの真っ赤な花が咲いていた。彼女は胸にギャザーの入ったストラップレスのミニワンピースを着ていた。腕を組んで坂道を下ると、ノーブ ラの彼女の胸が心地よいリズムを刻んで私の二の腕に当たった。
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 いつだったか、非番の日の夜遅く、春樹さんに頼まれて、陽子さんを家まで送ったことがある。終電近い国分寺の街は、店の灯りも消えて、ほとんど人影もな い。あまり会話もなかったかな。時折、たわいもない話をしながら歩いていると、陽子さんが私のダンガリーシャツの肘の部分をつまんだ。結局、家までずっと そうして歩いた。ミスすると、もの凄く的確に容赦なく突っ込むのに、なんだか可愛い人だなと思った。春樹さんもそういうところに惹かれたのかな。
 このお気に入りのシステムで、夜、部屋の灯りを消し、「ピーター・キャット」で出していたフローティング・キャンドルを灯し、ひとりバーボンを飲みなが ら、ジャズやハードロックやクラシックなどを聴いたものだ。たった四畳半のアパートが、モントルー・ジャズフェスの会場になったり、ウィーン楽友協会大 ホールになったり、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールになったりした。そんな若者は、当時いくらでもいただろう。
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 インターナショナル・オーディオ・ショーのデモを中心に、非常にいい音が聴けるムービーを集めてみた。往年の名器、アルテックA7やJBLのパラゴンもある。特におすすめは、『HOW TO RE-BUILD THE BEST JBL PARAGON (D44000) IN THE WORLD by KENRICK SOUND 世界一のパラゴン』。もちろん再生環境によるけれど、Youtubeでこんなにいい音が聴けるのかと驚くだろう。もちろん生演奏に勝るものはないのだが、いいコンポーネント・システムは、心を豊かにし、癒してくれる。ああ、またあのシステムでLPを聴きたいものだ。
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 CDもmp3もいいが、あのチリチリいうレコードの音も忘れがたい。アームをそお〜っとLPに置く、あの厳粛な動作は、儀式と呼ぶに相応しいものだった。もっとも、今ではデジタル化する際のノイズリダクション・ソフトもあるようだが。
そんなわけで、このオーディオセットを買うために(それだけではないが)、必至にバイトに明け暮れたのであるが、9年後に断腸の思いで全て売り払うことになった。それは、南米放浪のためだった。結構いい資金になった。
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 今日はここまで。次回は映画フリークだったあのころ。