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『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

70年代、雑誌が作ったアメリカブーム みんなアメリカが好きだった・・わけではない

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「ピーター・キャット」には、漫画は置いてあったけれど、決まった雑誌は置いてなかったと思う。ジャズの『スイングジャーナル』や『JAZZ』は、春樹さんが持って来てあったかもしれない。70年代というのは、雑誌文化が一気に花開いた時代だった。それまでは、漫画雑誌を除けば、『平凡パンチ』と『週間プレイボーイ』があっただけ。中学生の頃は、『ボーイズライフ』という本を買っていた。ジェーン・フォンダの水着写真を覚えている。『平凡パンチ』と『週間プレイボーイ』が、全共闘世代、団塊の世代の雑誌とすれば、ポスト団塊の世代の雑誌は、『POPEYE/ポパイ』と『Hot-Dog PRESS/ホットドックプレス』にヌード・グラビアの『GORO』だろう。所謂、カタログ雑誌の登場だ。
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 これらの本の先駆けとなったムックがあった。『Made in U.S.A.』(写真)である。銭湯が100円、昼飯が250〜350円で食べられた時代に1300円の豪華本であった。しかも、この本の出版は、 『POPEYE』の平凡出版(83年にマガジンハウスに)ではなく、なんと読売新聞社である。さらに、後援がアメリカ大使館経済商務部。読売新聞社といえ ば、「ポダム」というコードネームでCIAのスパイだった正力松太郎が社主だった。この本は、正に米と日本の官民ぐるみで、若者にアメリカブームを起 こし、アメリカ製品を売ろうという大プロジェクトの一環だったわけだ。
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 戦後、GHQが日本を占領するにあたり、3R・5D・3S政策を推進した。基本原則としての「3R」(Revenge―復讐、Reform―改組、 Revive―復活)、重点的施策としての「5D」(Disarmament―武装解除、Demilitalization―軍国主義排除、 Disindustrialization―工業生産力破壊、Decentralization―中心勢力解体、Democratization―民主 化)そして補助政策としての「3S」である。(wikipedia) 今、日本人の必読書といわれる孫崎 享さんの 『戦後史の正体』導入部。戦後の日本外交を、対米従属派と自主独立派の抗争という視点から捉え、米国の占領政策がいかに我が国の深部まで蝕んでいるかを露にした本である。対日占領政策が、いかに周到に 準備され、遂行されたが分かる。そして、不幸なことに、今の日本は対米隷属派に支配されている。事実上、日本はアメリカの植民地である。
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 3Sとは、スクリーン(映画:時代はテレビ、雑誌へと移る)、スポーツ、セックス(性産業:ここにも雑誌)またはスピード(クルマ)のことで、これらの娯楽に目を向けさせて、社会や政治に対する不満をガス抜きしようという政策のこと。さらに、学生運動が沈静化して来た中で、若者に購買意欲をつけようという目的で、この本が企画されたことは想像に難くない。そして、翌年第2号(こちらは、ライフスタイルに焦点を当てて編集)の発刊の後、カタログ雑誌 『POPEYE/ポパイ』が「an an別冊・Men's an an POPEYE」として発刊される。バックには、もちろん大手広告代理店がいた。
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『Made in U.S.A.』の中身は、ブルックス・ブラザースから始まるが、どちらかというとカントリースタイルの商品が多い。今この恰好をしたら、ケンタッキー辺りの田舎から出て来たお上りさんと言われるだろうスタイルだが、当時はアメリカも自然や伝統回帰の時代だった。バックパッカーヒッチハイク、ヘビー・デューティー、アース・ムーブメント、ニュー・ライフスタイルなど、当時を表す言葉があちこちに見られる。リーバイス501ジーンズやレッド・ウィングの アイリッシュ・セッター、ダウンジャケット、ケッズやコンバースのスニーカーなどは、ここからブームが広まった。この本は、全国の書店に並ぶと一週間で売 り切れ増刷された。
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 写真の『POPEYE/ポパイ』は、第2号。創刊号は、都内重点配本で、限定部数販売だったため、国分寺の小さな書店では手に入らなかった。サブタイトルは、「Magazine for City Boys」で、ライフ・スタイル・マガジン、あるいは、コラム・マガジンと名乗っていた。記事は、アメリカ西海岸のものが多く、所謂、ロサンジェルスやサンフランシスコを中心とした西海岸ブームを作った。但し、その先駆けを作ったのは、植草甚一氏の『宝島』だったわけだが・・。「シティボーイ」なんて、今やお尻がむずがゆくなるような言葉だが、当時は輝いていた。こちらも、創刊時はアメリカ合衆国商務省観光局の後援があったといわれる。記事には、スノビズ ム、ホット・クラシック、チープ・シック、ジョガー、サイクリスト等の言葉が見られる。そして、シティボーイ達がみな憧れたアグネス・ラムの広告。
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 最後のU.S.A.'76『DO CATALOG』は、サンケイ新聞出版局である。こちらは、グッズ・カタログではなく、副題に「SOURCE BOOK OF THE GOOD LIFE」、キッカーに「アメリカン・ライフスタイルの"新しい動き"を知る本」とあるように、ライフスタイル・カタログである。ナチュラル、グリーン、 シンプル、リサイクル、ロフト、インテリアなんて言葉があちこちに出て来る。自然指向が高まった時代であることが分かるが、実際は商業主義の大量消費社会へと日本は邁進していく。実は、後年私はこのムックを手がけた編集アダルトプロダクションに入り、デザイナーからアートディレクター、企画編集にまで手を染めるようになった。初めの頃は、事務所にVANの石津健介さんも度々遊びに来られた。
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 この本のリサイクルのページに、ケーブル・リール・テーブルなるものが登場する。電線ケーブルの大きな木製の巻き器を円形テーブルとしてリサイクルした ものだ。これこそが、村上春樹さんの「ピーター・キャット」にあった円形テーブルである。電線ケーブルを巻き取るものなので、相当重く頑丈にできていて、 動かすのは結構大変な代物だった。しかし、本当に実用的でお洒落だった。
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 そんな、アメリカブームは、確実に学生に浸透し始めていて、比較的手に入れ易い501ジーンズなどは、マストアイテムになっていった。とはいえ学生なの で、そう金があるわけでもない。そこで、中古品がブームになった。街の古道具屋はもちろん、米軍や自衛隊の払い下げ品や放出品の店が人気だった。アメ横の ミリタリーショップ「中田商店」や、八王子の米軍や大使館払い下げ家具の「横山家具店」 などだ。当時はゴミの分別等なかったので、高級住宅街のゴミ収集場は、貧乏学生にとっては、宝の山だった。ずっと後のことだが、宇多田ヒカルも通っていた、調布のアメリカンスクールのバザーに小さな息子達を連れて行った。ヤシの刺繍のアロハを買ったら、可愛い女の子が、私のお気に入りだったの、大事に着てねと息子に言った。親子揃ってアメリカの払い下げ品に世話になったわけだ。
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 春樹さんも含め「ピーター・キャット」の皆で、北海道の自衛隊の払い下げのコートを買ったことがあった。表は厚い目の詰まったキャンバス地で、取り外し のできるフードと、内側に取り外しのできるウサギの毛皮がついていた。表地は白だったが、私は染料でレンガ色に染めた。当時は、原発がまだ三基しかなかったせいか、多摩の冬は非常に寒かったので重宝した。友人のために二人で「横田家具店」まで大きなソファーベッドを探しに行ったこともあった。確か2m位あるバカでかい草色のソファーベッドを買った。米軍のものは、どれもこれも、狭いアパートで使うには、サイズがバカでかいのが璧に傷だった。何人かの友人 は、「中田商店」で買った弾薬入れをバッグとして木炭や鉛筆入れに使っていた。
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 1970年に大阪万博が開かれ、70年代は幕を開けた。実は、ここに参加したアーティストやクリエイター等が、中心として表に出て行ったのが、70年代 だった。これに背を向けたクリエイターは、時代から消えて行った。といっても、それはメインカルチャーの話で、一方でサブカルチャーが花開いたのが、この 70年代だった。出初めだった情報誌『ぴあ』も、映画を観に行く時やコンサートの情報を得るために買う、デートの必須ツールだった。『ビックリハウス』が 出たのも、ちょうどその頃。所謂、サブカル雑誌といわれるものだ。
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 買ったことのある雑誌を列挙する。『ガロ』、『宝島』、『STUDIO VOICE』、『ロッキングオン』、『ローリングストーン』、『ウィークエンド・スーパー』、『UFO』、『面白半分』、『話の特集』、『噂の真相』、 『本の雑誌』、『遊』、『現代思想』、『ユリイカ』、『カイエ』、『批評空間』、『Switch』、『芸術倶楽部』、『美術手帳』、『新宿 PLAYMAP』、『FMレコパル』等々。その前に『you』という『面白半分』を過激にした雑誌があったのだが、覚えている人がほとんどいない。原発の作業員が、廃鉱になった流れの作業員を使い捨てにしているというルポを読んだのも、いずれかのサブカル雑誌でだった。
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 メジャーな雑誌では、やはり『GORO』だろう。次いで、創刊号が馬鹿売れした『日本版月刊プレイボーイ』。アンダーヘアーの部分は修正が入っていて、 当時の学生の妄想をかき立てた。女性誌では、『anan』、『non・no』から、ニュートラの『JJ』が続き、ややアダルトな『クロワッサン』、 『MORE』が出た。そして、いずれ国会で物議をかもすことになる『ギャルズライフ』が出た。エロ雑誌を売る自販機が、ひっそりと街にあったのもこの頃 だ。まだ裏本などない頃だ。国分寺街道の坂下に、小さな郵便ポストのような、コンドームの自動販売機もあった。
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 その他に「ミニコミ誌」と「同人誌」というものがあった。「ミニコミ誌」といえば「社会運動やタウン誌」であり、「同人誌」といえば「文芸や漫画同人誌」のことであった。マスコミの情報に対して受け身でいるばかりではなく、自ら情報発信していこうという機運はこの頃から確実にあった。
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 さて、今日はここまで。次回は、「ピーター・キャット」や当時のジャズ喫茶のオーディオと、学生達のオーディオブームについて書いてみたい。