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『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

村上春樹夫妻も驚いたチーズの赤いロウ事件「ピーター・キャット」おつまみ編

「ピーター・キャット」のおつまみは、ナッツ類の乾きものから、チーズ、オイルサーディンの缶詰、トマトサラダ、レーズンバターなどに、軽食のサンドウィッチが何種類か。夜は、それに加えて陽子さんが作って来る肉じゃが等のちょっとした日替わりメニューがあった。今でこそピスタチオやジャイアントコーンカシューナッツなどは、100円ショップでも買えるが、当時はまだまだ珍しいものだった。「ピーター・キャット」で初めて食べたという人も多かったのではないだろうか。
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 ピスタチオが日本に入って来たのは以外と古く、文政年間に長崎に渡来したといわれている。中国では阿月渾子と書き、古来婦人用の催淫剤(媚薬)であると書かれている。シバの女王が愛したそうだ。効果のほどは定かではない。まあ、ナッツの王様といわれるぐらいだから栄養価は高い。カリウムが多く、抗酸化作用も強い。セシウムを取り込まないためにも効果的な食品といえる。イラン産が上物で殻が濃い。なぜ殻付きなのかは、剥いて並べてみると分かる。小さくしなびていて色も貧相なのだ。
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 カシューナッツも、人気のナッツで、よく出た。ナッツ類はパッキン付きのガラス瓶に入れられて、カウンターの奥の方に並べてあった。注文が来ると、白い皿に入れて出した。ブラジルを放浪した時に、カーニバルで黒人のローマと呼ばれるサルヴァドールに滞在した。その時に、カシューナッツの果実を初めて見た。ピーマンの様な実にカシューナッツがニョキッと出ている。ユーモラスな形をしている。実ひとつにナッツは一個しかつかない。高いわけだ。この実はジュースにして朝食によく飲んだ。ラム酒と割ったカクテルも旨い。

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 ジャイアントコーンも、まだ珍しかった。なにせペルーの標高3000mのクスコ奥地、ウルバンバ地方でしか採れないのだから。遺伝子組み換えもできないそうだ。ジャイアントコーンというから、本体もさぞ大きいかというと、そうではなくて、トウモロコシの芯が細くて実があのように大きい。トウモロコシは南米原産で、ボリビアに行った時に、市場でもの凄くたくさんの種類があることに驚いたものだ。生のジャイアントコーンは白い。これを揚げて塩をまぶす。
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 四角い石けんの様なプロセスチーズが一般的だった70年代は、ナチュラルチーズも、また珍しかった。店ではカーリングの玉を小さくした様な、周りに赤いロウ(ワックス)がコーティングされたものを出していた。ロウが赤だから、セミハードタイプのエダムチーズだったと思う。注文があると、四分の一をさらに八等分して、皿に赤いロウをつけたまま放射状に並べて爪楊枝をつけて出した様な気がする。ゴーダほどコクはないけど、わずかな酸味と甘みがあって旨いチー ズだった。そういえば、ブルーチーズをマヨネーズに混ぜたディップを添えた野菜スティックも出していたような気がする。ミニ竹輪の穴に、プロセスチーズを 差し込んで切ったおつまみもよく出た。
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 ある夜のことだった、客席から陽子さんが慌てて戻って来て言った。どうしよう、お客さんがチーズの皮食べちゃったの、と。しかし、どうしようもない。吐かせるわけにもいかない。結局、ロウだし毒ではないからいいだろうということで、一件落着。でも次からは、初めての客には、皮は剥いてくださいねと言う様 にしていたと思う。口の悪いバイトのKが、口開けてライター点けたら火を吹くんじゃないのと突っ込んだような・・。このナチュラルチーズで、私はチーズにはまった。青カビのロックフォール、外皮を塩水や酒で洗いながら熟成させたウォッシュタイプの臭いチーズも大好きである。ラクレットチーズフォンデュに も目がない。
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 1941年から1971年まで22年続いた1ドル=360円の固定相場制が、ニクソンショックで終わり、73年に変動相場制に移行した。74年頃は、1 ドル=280円から300円位で推移している。まだまだ円安だったが、それでもバックパッカーが海外へ行ったり、輸入品がなんとか手に入る様になった時代である。「ピーター・キャット」のおつまみや料理にも、そんな時代の流れが繁栄されていたというわけだ。
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 サンドウィッチは、色々エピソードがあるので、また別の機会に書こうと思うが、オイルサーディンは、サンドウィッチでもつまみでも出していた。缶詰を開けてそのまま温め、レモンスライスを乗せて、爪楊枝を刺して出していた様に記憶しているのだが・・。オイルサーディンは、私の大好物で、オリーブ油煮は得意中の得意料理でもあるのでレシピを載せておこう。一年かかるけれど、アンチョビーの手作りのレシピも開発した。ベクレていない新鮮なカタクチイワシを探さないといけない。内部被曝を決して軽く考えてはいけない。牡蠣のオリーブ油煮のピザのレシピも紹介しておこう。これは絶品だ。
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 それから人気があったのがオニオンスライス。店の包丁は、刃渡りが25センチ位ある大きなものだった。これでキャベツの千切りやオニオンスライスを切っ た。美大に来る様な連中は元来器用なので、皆すぐにマスターした。私は結構自炊していたし、高校の頃から大学生になった時のために役立つだろうと弁当を自分で作っていたので、難なくマスターした。バイトのKと、どっちが早く奇麗にスライスできるか競争したこともあった。手元を見ないでも切れるほどにはなっ た。
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 その後釣りもしたので、魚の三枚下ろしも得意だ。鶏をさばくのもできる。アマゾンで牛の解体も 手伝ったので、できるかもしれない(笑)。オニオンスライスは、水に晒してギュッと絞り、ガラスの器に持って花鰹を振り、醤油をかけたような気がする。レ モン汁もかけたかな。私は、それにニンニクとマヨネーズを加えたものが好きだ。タマネギは明治になって導入されたが、独特な匂いと、長ネギがあったため売れなかった。それが、コレラが流行った時に、コレラに効くらしいという噂が広まって、爆発的に売れる様になった。効きませんけどね。確かに殺菌成分はある けれど・・。
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 日替わりの料理は、陽子さんが作って持って来た。特に記憶に残っているのが、鶏手羽元と長ネギの煮物。これは簡単だが美味しくて、陽子さんに詳しく作り 方を教わった。手羽元と長ネギは、焼き目をつけて、生姜、出汁、酒、味醂、醤油でことこと煮るだけ。私の定番料理のひとつになった。
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 さて、今日はここまで。次回は、当時発刊された雑誌について、少し書いてみようと思う。70年代は、雑誌の黄金期だった。米隷属の道しるべを作ったムックや、雑誌、70年当時のサブカル雑誌など。