読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『国分寺・国立70sグラフィティ』

村上春樹さんのジャズ喫茶、ピーター・キャットを中心とした70年代のクロニクルまたはスラップスティック

目次 [CONTENTS]

◉ご要望が多かったので目次を作りました。目次は常にトップに表示されます。ここからお好きなページに行くことができます。 現在二つの原稿を執筆中ですが、多忙のため(他にやらないといけないことややりたいことが多すぎて)進みません。気長にお待ち下さ…

冬に似合うジャズアルバム。キャットの定盤(番)、ホットウィスキーと共に

以前、『冬のうちに書くつもりが、春になってしまった「ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件」』でデューク・ジョーダンの『フライト・トゥー・デンマーク』などを紹介したが、意外と冬をテーマにした曲は少ない。しかし、クリスマスとなると、ジャズの…

秋に似合うジャズ。ピーター・キャットでかかっていたあの名曲

まったく想像を絶する世界に我々は住んでいるようだ。2014年8月26日、東電の記者会見によると、福島第一原発からは、毎日海へストロンチウム50億ベクレル、セシウム20億ベクレル、トリチウム10億ベクレルが漏れ出ているそうだ。大気中へは、毎日2.4億ベクレ…

春に似合うアルバム。私の一推しはこれ。『April in Paris』

70年代当時の東京の冬というのは結構寒くて、雪もよく降った。なにせ原発が三基しかなくて発電に回る二倍という膨大な量の温排水が殆ど無かったわけだから当たり前だ。ところが2014のこの冬は一基も稼働していないせいか、はたまた地球がNASAの言うよ…

春樹さんと本と学生時代に読んだ本について。僕は自転車と雑学が好きだった

「村上夫妻の三角地帯からの引越し」 で書いた様に、春樹さんの引越しの時に驚いたのは、その蔵書の多さだった。手伝った皆で、これは小さな古本屋が開けるよねと言いあったものだ。それに感化されたというわけでもないが、私も本の虫だった。本の虫って面白…

77年の3月、羽田空港からロンドンへ、空中分解しそうなアエロフロートで飛んだ

村上春樹夫妻に色々悩みを打ち明けていた時に、「こんな狭い日本でうじうじしてないで、海外でも歩いてきなさいよ」と言われたことがあった。まあ、そんな助言もあって、私は77年の3月大学3年の春休み、アルバイトで貯めたお金や亡き祖母が私のために貯…

夏に似合うジャズアルバム。「ピーター・キャット」の気怠い夏

最高気温36度の信州で書くには絶好のテーマかもしれないが、脳がメルトダウンしている。暑すぎるせいか、例年より早く妻女山山系のオオムラサキもほとんど姿を消してしまった。翅がボロボロになってもまだ求愛ダンスを続けるオオムラサキのペアを見て、荘…

70年代の学生の自炊と外食。つまり食料事情について。抱腹絶倒の物語

70年代の平均的な学生の一人暮らしというのは、たいていが四畳半か六畳のモルタルアパートだった。三畳に住んでいた強者もいた。賄い付きの下宿というのもあったが、数は少なかった。部屋はたいてい畳敷きで、小さな台所とトイレが付く。水洗がほとんどだ…

春樹さんがいう地下室に下りてみよう。『僕たちは再び「平和と愛」の時代を迎えるべきなのかもしれません』村上春樹

3.11以降、実質国土の三分の一が失われたというのに、東京湾はもちろん北太平洋もほぼ死んだというのに、この国のテレビは相変わらずバラエティやグルメ番組を、まるで何事もなかったかのように垂れ流し続けている。戦後、CIAが持ち込んだ愚民化政策は脈…

国立ロンド(輪舞曲)。亡き王女のためのパヴァーヌ

「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴くと、なぜか晩秋の大学通りを思い出す。桜の葉が色付き風に舞う。枯葉の間から木漏れ日が挿す。散歩中の少女が子犬と戯れる。ラヴェルがルーブル美術館でベラスケスの「マルガリータ王女」の肖像画を観てインスピレーシ…

ラプソディ・イン・国立。雨上がりの夜空に・・・

ラプソディとは、狂詩曲のことをいうが、語源は古代ギリシャの吟遊詩人達の即興詩。おもにホメロスの叙事詩の断章であるrhapsōǐdiaに由来する。「ラプソディ・イン・国立」は、もちろん故忌野清志郎率いるRCサクセションの1980年のアルバム『RHAPSODY』…

雨の日とミッドナイトには、女性ヴォーカルがよく似合う

ジャズ喫茶といっても、「ピーター・キャット」は、会話をするとウェイターがやってきて「お静かに!」などと言われる様なおしゃべり禁止の店ではなかった。そういう本格的にジャズを聴きに行くための店は、それはそれで存在理由があって貴重だった。私も吉…

「ピーター・キャット」のアルバイト事情。突然叩き起こされて・・

「ピーター・キャット」のアルバイトは、二日おきか三日おきに入れていた。基本は夜で、7時から深夜1時半か2時まで。昼の時は、12時に入って7時までだった。カウンターに入ると立ちっぱなしなので結構疲れるが、若かったので特に辛かったという記憶は…

「ピーター・キャット」以外のユニークなバイト。それはスラップスティックな世界

『70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々』で書いたが、大学一、二年の時はアルバイトに明け暮れた。「ピーター・キャット」のバイトは、週に2、3回ぐらいだが、その他にも色々なユニークなバイトを…

村上夫妻の三角地帯からの引越し、友人の引越し。獣の臭いのする布団

「今度引越しするから手伝ってくれない?」と春樹さんに言われたのが、75年の春だったと思う。まず当時の地図を見て欲しい。国分寺駅からの西武国分寺線と中央線が分岐する通称三角地帯(村上夫妻命名)に、その家はあった。正確にいうと2013年現在も…

「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語

「ピーター・キャット」の店名は、村上夫妻が飼っていた猫の名前に由来するが、マッチのイラストは、英国の数学者で作家のルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンの『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫(Cheshire cat)。絵はジ…

ある大雪の日の春樹さん一時行方不明事件

「ピーター・キャット」で冬にリクエストが多かったアルバムで記憶にあるのは、デューク・ジョーダンの「フライト・トゥー・デンマーク」。真っ白な雪景色の森の小径にたたずむデューク・ジョーダンのジャケットが印象的。特にA面最初の「危険な関係のブルー…

村上春樹さんチョイスのバンドで「ピーター・キャット」ライブ演奏の熱い夜

「ピーター・キャット」では、ほぼ毎月二回、日曜日の夜にライブ演奏を行っていた。出演のあるジャズマンによく言われた言葉がある。10枚のアルバム買う金があったら、半分はライブに使った方がいいと。俺たちのライブに来て!というのもあるが、それを置…

人生は、ジャズと酒とバラの日々。村上春樹さんが教えてくれたカクテルあれこれ

「ピーター・キャット」のお酒は、ビールはキリンのラガーだった。キリンだから、輸入ビールはバドワイザー、ハイネケン、ギネスなども置いていたと思うが、確かな記憶がない。ウィスキーは、開店の74年発売のロバート・ブラウン。 オン・ザ・ロックや水割…

わが家の定番となった「ピーター・キャット」村上春樹さん夫妻考案のサンドウィッチあれこれ

「ピーター・キャット」では、村上春樹さん夫妻が考案したサンドウィッチを出していた。全部で7、8種類ほどあって、昼を任された時は、仕込みが結構大変だった。そのうちのいくつかは、わが家の定番となった。私が元妻に教えたのである。息子達は最近まで…

ももクロでもハチクロでもないが、私の美大生時代はスラップスティック。まだベトナム戦争中、基地もあった

『ハチミツとクローバー』 というアニメとドラマがある。通称『ハチクロ』という。なんでも武蔵野美術大学がモデルらしい。評判になったので、立ち読みしたり、ドラマも少しは観たことがある。映画の予告も結構流れていたので一応知っている。ちゃんと観たら…

70年代は、ニューシネマ。そして私はシネマフリークになった

「ピーター・キャット」のバイトをしている時も、忙しい中よく映画を観に行った。当時、デートといえば映画を観に行くことではなかったかな。もちろ ん一人でも男友達とも行ったが。よく行ったのは、渋谷の全線座。いわゆる二番館である。300円で2本立て…

70年代は、オーディオブーム。そのために必死で「ピーター・キャット」等のバイトをした日々

「ピーター・キャット」のオーディオ・システムは、プレイヤーが、デンオンDP3000。カートリッジが、シュアーV15III。プリメインアンプ が、サンスイAU6600。スピーカーが、JBL・L88プラスだった。JBLのスピーカーは、最高級のパラゴンが吉祥寺のジャ…

70年代、雑誌が作ったアメリカブーム みんなアメリカが好きだった・・わけではない

「ピーター・キャット」には、漫画は置いてあったけれど、決まった雑誌は置いてなかったと思う。ジャズの『スイングジャーナル』や『JAZZ』は、春樹さんが持って来てあったかもしれない。70年代というのは、雑誌文化が一気に花開いた時代だった。それまで…

村上春樹夫妻も驚いたチーズの赤いロウ事件「ピーター・キャット」おつまみ編

「ピーター・キャット」のおつまみは、ナッツ類の乾きものから、チーズ、オイルサーディンの缶詰、トマトサラダ、レーズンバターなどに、軽食のサンドウィッチが何種類か。夜は、それに加えて陽子さんが作って来る肉じゃが等のちょっとした日替わりメニュー…

「ピーター・キャット」を出て国分寺の街を歩けば・・その2

「ピーター・キャット」を出て、丸山通りの坂道を登る。殿ケ谷戸公園横の坂道を登る。ある日のこと、坂道を登っていると、拡声器で名前を呼ばれた。「○○ 君、キリキリ歩きませい! ○×△□×◇!(喜劇新思想体系のセリフ)」と、国分寺中に聞こえる様な大きな音…

「ピーター・キャット」を出て国分寺の街を歩けば・・その1

「ピーター・キャット」を出て北口へ行こうとすると、東へ100mほど歩いてから、南町二丁目の交差点を左折し、国分寺街道を北へ。JR(当時は国鉄)の ガードをくぐって左手の石段を上り、ビジネス千成ホテルの脇の小路を抜けて大学通りへ出るしかない。その頃…

村上春樹さんが絶対にかけちゃだめと言ったアルバム

「ピーター・キャット」でかけてはいけないLPというか、演奏家というのがあった。これは純粋に春樹さんの好みであって、たとえ常連さんが、これいいよと 持って来ても、かけられないものはかけられないわけだ。当時の雑誌の取材でも答えているように、キース…

国分寺「ピーター・キャット」のインテリアを描いてみた

国分寺「ピーター・キャット」の店内を描いてみようと思い立ったが、まともな資料がないことに気がついた。写真がない。なぜ撮らなかったかわからない が、ない。営業中はフラッシュをたくわけにいかないというのもある。私は当時、発売されたばかりのオリン…

「ピーター・キャット」でバイトをした武蔵美の三人組

前々回の記事で書いた様に、そんなわけで私たち三人組(写真・74年初夏のキャンパスで)は、「ピーター・キャット」でアルバイトを始めた。実家に出した手紙の中に、17日間の実際のカレンダーを表記したものがあった。面白いのでスキャニングしてみた。一年…

「SINCE I FELL FOR YOU 」で終わるピーター・キャットの一日

スタンリー・タレンタインとザ・スリーサウンズのアルバム『ブルー・アワー』のB面の最初の曲は、「SINCE I FELL FOR YOU 」だが、この曲は、ジャズ喫茶「ピーター・キャット」のエンディングテーマだった。豪放なテナー奏者としてしられるスタンリー・タレ…

1974年のピータ・キャット 村上春樹さんとの出合い

私が最初に村上夫妻を見たのは、1974年の春のことだった。夫妻は国分寺駅の南口で、開店したばかりの「ピータ・キャット」のマッチを配っていた。 マッチの表には、ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫とpeter-catのロゴが白字に墨で…

国分寺・国立70Sグラフィティ【村上春樹さんの国分寺ピーター・キャット】

私は信州の高校を卒業して上京し、以後38年の東京暮らしをした。美大に入って最初に住み始めた街が国分寺。次に住んだ街が国立だった。あの頃、カウンターカルチャーのメッカとして、国分寺は若者の活気で溢れていた。そして、私は大学に通いながら、後に…